「忘れられた子どもたち」宮本常一 八坂書房 2015年 ①(前半)
「どうぞマメであるように。もし病気にでもなるようなことがあったら、どうぞこのわた
しと代わらせていただきたい。例えどのような苦しみを受けましょうともよろしゅうご
ざいます。」
『杜子春』の両親の姿を思い出します
親の心を思うのか 今の子どもたちも しいんとして聴きます
今回は 宮本常一さんの
「忘れられた子どもたち」の紹介1回目(上)の紹介です
出版社の案内には
「日本には多くの『忘れられた子どもたち』がいた。土に沁み、海に落とした“母の涙・
子の涙”を見てゆく。」
とあります
「忘れられた日本人」はよく知られていますが
似ている題名を出版社がつけたのではないかと思われます
元小学校の教員だった宮本さんらしい内容でした
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「わたしは神仏を拝むのも人に功徳を施すのも一つだと思いました」
・「お百度 - 日曜を一日中これで潰してしまうようなことが多かった」
・「子育て幽霊 伊予・学信(浄土宗の僧) 伝・亡母の腹中より生まれた 全国に分布」
- 静岡県・掛川の子育て飴も知られています
・「育つは喜び
- 明治時代までは半ばが早く世を去っている親たちが誰への遠慮もしないで産んで、
子を思うままに育てることができた日が一番幸福であり希望に満ちたもの 」
親としての 温かな愛情を感じることができました
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまち 浜松
山田卓司さんのすばらしい作品が
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください

☆「忘れられた子どもたち」宮本常一 八坂書房 2015年 ①(前半)

◇母親の心
□村のことわざ
「コヤライ貧乏」
「金はコヤライの間でなければたまるものではない」
□常一の母 - 6人身ごもり3人育つ
米の部分を一椀ずつ跡取りのもののため(麦がほとんど)
生卵 センブリ
素直に子供たちを他郷に出してからの嫁達の子への思いやり
|
氏神様 早朝
「どうぞマメであるように。もし病気にでもなるようなことがあったら、どうぞこの
わたしと代わらせていただきたい。例えどのような苦しみを受けましょうともよろ
しゅうございます。」
|
すべての嫁達の言葉
□祖母
朝宮参りはしない人
~ しかし、ずっと宵参りをしていたことを後から知った
陰膳を供えた
□昭和14年11月
出雲の海岸
2日泊めていただく
「わたしは神仏を拝むのも人に功徳を施すのも一つだと思いました」
□千本幟 ~ 「潮をかく」
お百度
- 日曜を一日中これで潰してしまうようなことが多かった
(「家郷の訓」三国書房 昭和18年)
◇子に生きる
□丹生村(滋賀県長浜市)
田戸地区 水害 明治28・29年
□子どもを育てた話
60になれば隠居を別にもちそこに住まい本家から食糧を仰いで生活する
(「村里を行く」三国書房 昭和18年)
◇母の悲願
□子育て幽霊
伊予・学信(浄土宗の僧)
伝・亡母の腹中より生まれた 全国に分布
飴屋 子育て飴
□人買船
人の売買のために子どもの誘拐 厨子王安寿姉弟
□生き肝をとる
「今昔物語」子どもの生き肝を取るため人をさらう噂(西日本)
□子を売る
飛島 子どもをもらう - 南京袋に入れて-「南京小僧」
漁業には多くの労力を必要とした
焼津 青年を山村から
ルイ・パストゥールの話(別れ住む苦しみ)
□堕胎間引き
高橋梵仙「日本人口史の研究」
東国の風俗? 床の下に埋けて石を置いた
□捨て子の風
□育つは喜び
明治時代までは半ばが早く世を去っている
親たちが誰への遠慮もしないで産んで、子を思うままに育てることができた日が一
番幸福であり希望に満ちたもの (「愛情は子どもと共に」馬場書店 昭和23年)
□[付資料]「子孫繁昌手引き書」
◇間引きと堕胎
□子を産むは罪?
□悪魔のすすめ
間引き堕胎の風習はキリシタン宣教師に強い影響
□ある改宗者の懺悔
非道であると思っても無関心を装っていなければならぬ事情がある
~ 農業生産力の低さと農村の貧しさが原因
□まぼろしの子ども
大阪のある町の墓 幻子 幻女
「日本残酷物語Ⅰ 貧しさ人びとのむれ」平凡社 昭和34年
◇子どもを守る
□エズメ
□子守
伊豆の新島~制度
□里親・里子
□育児の真心
□ホウソウ神 - 子どもの病気
ホウソウが子どもの命を奪った
~ 昭和10年ごろまで各地にホウソウ神送り行事
「疳の虫」~東日本
孫太郎虫 - 幟 「陸奥名産孫太郎」行商人
□地蔵さま
墓 - 童女・童子 ~ 元服していない15歳以下
「石の小仏たち」森田拾史郎 芳賀書店 昭和49年
□子どもの保護
種痘-シーボルト 高松東岡 最上徳内 緒方洪庵
「日本の子どもたち」岩崎書店 昭和32年
しと代わらせていただきたい。例えどのような苦しみを受けましょうともよろしゅうご
ざいます。」
『杜子春』の両親の姿を思い出します
親の心を思うのか 今の子どもたちも しいんとして聴きます
今回は 宮本常一さんの
「忘れられた子どもたち」の紹介1回目(上)の紹介です
出版社の案内には
「日本には多くの『忘れられた子どもたち』がいた。土に沁み、海に落とした“母の涙・
子の涙”を見てゆく。」
とあります
「忘れられた日本人」はよく知られていますが
似ている題名を出版社がつけたのではないかと思われます
元小学校の教員だった宮本さんらしい内容でした
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「わたしは神仏を拝むのも人に功徳を施すのも一つだと思いました」
・「お百度 - 日曜を一日中これで潰してしまうようなことが多かった」
・「子育て幽霊 伊予・学信(浄土宗の僧) 伝・亡母の腹中より生まれた 全国に分布」
- 静岡県・掛川の子育て飴も知られています
・「育つは喜び
- 明治時代までは半ばが早く世を去っている親たちが誰への遠慮もしないで産んで、
子を思うままに育てることができた日が一番幸福であり希望に満ちたもの 」
親としての 温かな愛情を感じることができました
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまち 浜松
山田卓司さんのすばらしい作品が
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください

☆「忘れられた子どもたち」宮本常一 八坂書房 2015年 ①(前半)
◇母親の心
□村のことわざ
「コヤライ貧乏」
「金はコヤライの間でなければたまるものではない」
□常一の母 - 6人身ごもり3人育つ
米の部分を一椀ずつ跡取りのもののため(麦がほとんど)
生卵 センブリ
素直に子供たちを他郷に出してからの嫁達の子への思いやり
|
氏神様 早朝
「どうぞマメであるように。もし病気にでもなるようなことがあったら、どうぞこの
わたしと代わらせていただきたい。例えどのような苦しみを受けましょうともよろ
しゅうございます。」
|
すべての嫁達の言葉
□祖母
朝宮参りはしない人
~ しかし、ずっと宵参りをしていたことを後から知った
陰膳を供えた
□昭和14年11月
出雲の海岸
2日泊めていただく
「わたしは神仏を拝むのも人に功徳を施すのも一つだと思いました」
□千本幟 ~ 「潮をかく」
お百度
- 日曜を一日中これで潰してしまうようなことが多かった
(「家郷の訓」三国書房 昭和18年)
◇子に生きる
□丹生村(滋賀県長浜市)
田戸地区 水害 明治28・29年
□子どもを育てた話
60になれば隠居を別にもちそこに住まい本家から食糧を仰いで生活する
(「村里を行く」三国書房 昭和18年)
◇母の悲願
□子育て幽霊
伊予・学信(浄土宗の僧)
伝・亡母の腹中より生まれた 全国に分布
飴屋 子育て飴
□人買船
人の売買のために子どもの誘拐 厨子王安寿姉弟
□生き肝をとる
「今昔物語」子どもの生き肝を取るため人をさらう噂(西日本)
□子を売る
飛島 子どもをもらう - 南京袋に入れて-「南京小僧」
漁業には多くの労力を必要とした
焼津 青年を山村から
ルイ・パストゥールの話(別れ住む苦しみ)
□堕胎間引き
高橋梵仙「日本人口史の研究」
東国の風俗? 床の下に埋けて石を置いた
□捨て子の風
□育つは喜び
明治時代までは半ばが早く世を去っている
親たちが誰への遠慮もしないで産んで、子を思うままに育てることができた日が一
番幸福であり希望に満ちたもの (「愛情は子どもと共に」馬場書店 昭和23年)
□[付資料]「子孫繁昌手引き書」
◇間引きと堕胎
□子を産むは罪?
□悪魔のすすめ
間引き堕胎の風習はキリシタン宣教師に強い影響
□ある改宗者の懺悔
非道であると思っても無関心を装っていなければならぬ事情がある
~ 農業生産力の低さと農村の貧しさが原因
□まぼろしの子ども
大阪のある町の墓 幻子 幻女
「日本残酷物語Ⅰ 貧しさ人びとのむれ」平凡社 昭和34年
◇子どもを守る
□エズメ
□子守
伊豆の新島~制度
□里親・里子
□育児の真心
□ホウソウ神 - 子どもの病気
ホウソウが子どもの命を奪った
~ 昭和10年ごろまで各地にホウソウ神送り行事
「疳の虫」~東日本
孫太郎虫 - 幟 「陸奥名産孫太郎」行商人
□地蔵さま
墓 - 童女・童子 ~ 元服していない15歳以下
「石の小仏たち」森田拾史郎 芳賀書店 昭和49年
□子どもの保護
種痘-シーボルト 高松東岡 最上徳内 緒方洪庵
「日本の子どもたち」岩崎書店 昭和32年
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