「土のいろ」集成 第八巻 75~83号 1981年 ②(後半)
今回は 3月24日に続いて遠州地域の郷土雑誌の復刻である
「土のいろ集成」第八巻の紹介 2回目(後半)です。
かつて郷土の出版社「ひくまの出版」から出されていました。
柳田国男の民俗研究に連動して生まれた全国に広まった郷土誌の発刊。
遠州地方では『土のいろ』が知られています。
今回紹介するのは、昭和7年から昭和8年、およそ80年前以上前のものです。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「 9月9日の節句は祝わなくなった」
- 重陽の節句を祝わないようになったとのことですが、
このような伝説は各地に残っています。
・「他の古戦場 ・白須賀の潮見坂・入出の宇津山・井伊谷・三嶽・大平・三方原等」
- 「井伊谷」(大河ドラマで知られるようになった)が入っていますね。
・「『土のいろ』…大正13年1月26日 宮殿下御婚儀に発刊
浜松子供協会 民俗学資料蒐集・研究主眼」
・「『古の時,和地・祝田・都田三村のまぐさ場たり。故に三方原という』
『箕形から箕方原といったが,合戦の後敵の味方原』」
- 三方原の合戦で知られる三方原の謂われですが、いろいろありそうです。
『土のいろ』
本を開いているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。
全国各地に郷土誌運動が盛んだったと言われています。
昭和15年 戦争の影響により年2回の発行となったことが分かります。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまち 浜松
山田卓司さんのすばらしい作品が
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください

☆「土のいろ」集成 第八巻 75~83号 1981年 ②(後半)

◇第15巻第3号 通刊77号 昭和13年8月 交通
□浜名湖を中心とせる水陸交通の歴史地理的研究
武士の農民支配強化が交通を発達 太田文平
◇第15巻第4号 通刊78号 昭和13年10月
□佐久城主堀川城物語
○佐久城-浜名氏
○浜名氏家臣に裏切り者 → 家康浜松に
○鹿島 → 池田 → 妙恩寺 → 入城
○浜松城主退城
永禄11年 明け渡し
○堀川城
堀江城主・大沢氏と共に武田方へ
永禄12年3月27日 攻防戦 対家康
徳川軍16人討ち死に 700余命捕虜
9月9日 斬られて獄門
↓
気賀地方
9月9日の節句は祝わなくなった
□他の古戦場
・白須賀の潮見坂
・入出の宇津山
・井伊谷
・三嶽
・大平
・三方原等
□初山龍文坊と祥統和尚 近藤用一
遠州黄檗史 正一位 初山龍文和尚
◇第15巻第5号 通刊79号 昭和13年12月
□我が国紡績史に見えた遠江 中村精
○二俣紡績
明治16,17年 品質が悪く明治26年解散
大資本不足→水路埋め立て
○岡田良一郎,竹山謙三(長上村),堀内五郎(長野村)
□「土のいろ」十五年回顧 岡眞萩
○大正13年1月26日 宮殿下御婚儀に発刊
浜松子供協会 民俗学資料蒐集・研究主眼
□遠江絵画史 中道朔爾
≪戦時体制 年2回≫
◇第16巻第1号 通刊80号 昭和14年4月
□演劇に見えたる遠江 渥美静一
遠江が出る演目
酒井の太鼓 - 現在見付小学校
□遠江郷土カルタ
◇第16巻第2号 通刊81号 昭和14年8月
□謡曲に見えたる遠江 相良常明
□幕末外艦トライに付沿海諸藩に対する通牒書 増田又右衛門
□仮字庭訓 故人 八木美庸挨
◇第17巻第1号 通刊82号 昭和15年5月
□三方原開拓史 富田準作
「古の時,和地・祝田・都田三村のまぐさ場たり。故に三方原という」
「箕形から箕方原といったが,合戦の後敵の味方原」
○入り会いの争い絶えず
入り会い村 108 → 138か村
○正徳年間
駿府豪商 松本新右衛門
○明治2年
旧藩士族 - 気賀林,横田保 が 「百里園」
□ひらてんさま 渥美実
○平手堅物汎秀の碑(平手長政)
信長の命 - 家康援軍 → 三方原後に戦死
鴨江村・伊場村の間にびってんさま
○遠江伝説カルタ 浜松子ども協会
ひ 「燈ともし山の功名の噺」
浜松北部・燈ともし山の伝説
◇第17巻第2号 通刊83号 昭和15年9月
□浜松地方の気候概況 大竹玄吾
○気候とは
・短時間-天候
・日々の天候-天気
○気候 - 「 気象 + 土地に結び付いたもの(気象学と地理学) 」
○気候要素
気候因子
(1)天文的因子
緯度
(2)地理的因子
海抜,水陸分布,海岸距離,地形,土質,土地の裸被
(3)気象的因子
卓越風,海流
「土のいろ集成」第八巻の紹介 2回目(後半)です。
かつて郷土の出版社「ひくまの出版」から出されていました。
柳田国男の民俗研究に連動して生まれた全国に広まった郷土誌の発刊。
遠州地方では『土のいろ』が知られています。
今回紹介するのは、昭和7年から昭和8年、およそ80年前以上前のものです。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「 9月9日の節句は祝わなくなった」
- 重陽の節句を祝わないようになったとのことですが、
このような伝説は各地に残っています。
・「他の古戦場 ・白須賀の潮見坂・入出の宇津山・井伊谷・三嶽・大平・三方原等」
- 「井伊谷」(大河ドラマで知られるようになった)が入っていますね。
・「『土のいろ』…大正13年1月26日 宮殿下御婚儀に発刊
浜松子供協会 民俗学資料蒐集・研究主眼」
・「『古の時,和地・祝田・都田三村のまぐさ場たり。故に三方原という』
『箕形から箕方原といったが,合戦の後敵の味方原』」
- 三方原の合戦で知られる三方原の謂われですが、いろいろありそうです。
『土のいろ』
本を開いているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。
全国各地に郷土誌運動が盛んだったと言われています。
昭和15年 戦争の影響により年2回の発行となったことが分かります。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまち 浜松
山田卓司さんのすばらしい作品が
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください

☆「土のいろ」集成 第八巻 75~83号 1981年 ②(後半)

◇第15巻第3号 通刊77号 昭和13年8月 交通
□浜名湖を中心とせる水陸交通の歴史地理的研究
武士の農民支配強化が交通を発達 太田文平
◇第15巻第4号 通刊78号 昭和13年10月
□佐久城主堀川城物語
○佐久城-浜名氏
○浜名氏家臣に裏切り者 → 家康浜松に
○鹿島 → 池田 → 妙恩寺 → 入城
○浜松城主退城
永禄11年 明け渡し
○堀川城
堀江城主・大沢氏と共に武田方へ
永禄12年3月27日 攻防戦 対家康
徳川軍16人討ち死に 700余命捕虜
9月9日 斬られて獄門
↓
気賀地方
9月9日の節句は祝わなくなった
□他の古戦場
・白須賀の潮見坂
・入出の宇津山
・井伊谷
・三嶽
・大平
・三方原等
□初山龍文坊と祥統和尚 近藤用一
遠州黄檗史 正一位 初山龍文和尚
◇第15巻第5号 通刊79号 昭和13年12月
□我が国紡績史に見えた遠江 中村精
○二俣紡績
明治16,17年 品質が悪く明治26年解散
大資本不足→水路埋め立て
○岡田良一郎,竹山謙三(長上村),堀内五郎(長野村)
□「土のいろ」十五年回顧 岡眞萩
○大正13年1月26日 宮殿下御婚儀に発刊
浜松子供協会 民俗学資料蒐集・研究主眼
□遠江絵画史 中道朔爾
≪戦時体制 年2回≫
◇第16巻第1号 通刊80号 昭和14年4月
□演劇に見えたる遠江 渥美静一
遠江が出る演目
酒井の太鼓 - 現在見付小学校
□遠江郷土カルタ
◇第16巻第2号 通刊81号 昭和14年8月
□謡曲に見えたる遠江 相良常明
□幕末外艦トライに付沿海諸藩に対する通牒書 増田又右衛門
□仮字庭訓 故人 八木美庸挨
◇第17巻第1号 通刊82号 昭和15年5月
□三方原開拓史 富田準作
「古の時,和地・祝田・都田三村のまぐさ場たり。故に三方原という」
「箕形から箕方原といったが,合戦の後敵の味方原」
○入り会いの争い絶えず
入り会い村 108 → 138か村
○正徳年間
駿府豪商 松本新右衛門
○明治2年
旧藩士族 - 気賀林,横田保 が 「百里園」
□ひらてんさま 渥美実
○平手堅物汎秀の碑(平手長政)
信長の命 - 家康援軍 → 三方原後に戦死
鴨江村・伊場村の間にびってんさま
○遠江伝説カルタ 浜松子ども協会
ひ 「燈ともし山の功名の噺」
浜松北部・燈ともし山の伝説
◇第17巻第2号 通刊83号 昭和15年9月
□浜松地方の気候概況 大竹玄吾
○気候とは
・短時間-天候
・日々の天候-天気
○気候 - 「 気象 + 土地に結び付いたもの(気象学と地理学) 」
○気候要素
気候因子
(1)天文的因子
緯度
(2)地理的因子
海抜,水陸分布,海岸距離,地形,土質,土地の裸被
(3)気象的因子
卓越風,海流
この記事へのコメント