山折哲雄さんはこんなことを 33-「今を生きる」 淡交社 1999年 (3) /キーワード 「宿題」 ①【再掲載 2017.9】
今日は2月15日、土曜日です。
今回は2月5日に続いて「山折哲雄さんはこんなことを」の33回目、
「いまを生きる」の紹介 3回目です。
出版社の案内には、
「さまよいつづける心と死生観。つぎからつぎへと新たに『人間
とは何か?』の問いを問いつづける現代の世相を解き明かす」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「身毒丸とは子どもに降りかかる様々な運命を映し出す永遠の主人公
の名前。血縁と脱血縁の間を彷徨い歩く寄る辺なき孤児の別名か?」
・「明るく楽しく健康な」人間を育成するという掛け声のもとに,短調排除の路線
をまっしぐらに進んできた。演歌の哀傷・短調の旋律が排除されて姿を消し
ていった。」
・「モノモラヒの眼病を治す手段として人の家を訪ね,者をもらって食
べる習慣があったという。ものもらいは,普通はお茶や握り飯,あ
るいは米や麦飯や餅だった。このようなモノモラヒアルキの習慣が
あって初めて眼疾がモノモラヒと呼ばれるようになったのだ。
- 柳田國男説」
もう一つ、再掲載になりますが、わたしの教育ノートから
「キーワード『宿題』」①を載せます。
☆山折哲雄さんはこんなことを 33-「今を生きる」 淡交社 1999年 (3)

◇米国開教師の目
桑港
世界宗教に共通するもの 慈悲・許し・愛
◇愛の姿
狩野芳崖(1828-1888)「慈悲観音」図
悲しみと慈愛 ~ 悲哀を柔らかく包み込む愛の形
◇身毒丸
中世の「しんとく(俊徳)丸」
弱法師(よろよろ歩く乞食坊主)
継子いじめ
貴種流離 + 母子相姦
しんとく丸を身毒丸と読み込んだのは折口信夫
身毒丸小説も 同性愛
脱血縁の物語
身毒丸
子どもに降りかかる様々な運命を映し出す永遠の主人公の名前
血縁と脱血縁の間を彷徨い歩く寄る辺なき孤児の別名?
◇短調排除の時代 現代生活の光と影
昭和57年新聞家庭欄
日本の子守歌 3歳幼児が拒絶反応
→ 次から次へと同じ投書
翌年 昭和58年 藤原新也 毎日新聞に寄稿
「テレビコマーシャルの影響ではないか。コマーシャルは時代
感覚を盛った瞬間的な効果音をもって子どもたちに襲いかか
るからだ。それが天まだ何ものにも染まっていない子どもの
心に影響する。母親の心臓音よりもエキサイティングな効果
音の支配下におかれている。そのためではないか。テレビコマー
シャルのサウンドには,驚くべくことに短調の形式が皆無である。
悲しみの感覚が追放されていると言ってもいい。一方通行の音感
教育が幼児たちの情操教育が幼児たちの情操教育に一種のゆが
みをもたらすことは避けられない。」
↑
戦後日本教育のひずみ
「明るく楽しく健康な」人間を育成するという掛け声のもとに,短調排除
の路線をまっしぐらに進んできた。演歌の哀傷・短調の旋律が排除
されて姿を消していった。」
※ 「五木の子守歌」「中国地方の子守歌」「禁じられた遊び」の悲哀
の旋律は?
ものもらい
柳田国男「モノモラヒの話」昭和10年
二つの意味があるのはなぜか
①瞼にできる腫れ物
②乞食
眼疾 いろいろな言い方
メモラヒ(能登)メボ(播州)メボシ(東北)
メイカゴ(茨城) メバチコ(和歌山)ノメ(奥州)
ホイト(ほぼ全国)マロウト(岡山)
「ホイト」 ~ 乞食そのものを意味
「マロウト」 ~ 客人
※メイボ = コジキ(乞食)=客の概念
柳田説
「モノモラヒの眼病を治す手段として人の家を訪ね,者をもらっ
て食べる習慣があったという。ものもらいは,普通はお茶や握
り飯,あるいは米や麦飯や餅だった。このようなモノモラヒア
ルキの習慣があって初めて眼疾がモノモラヒと呼ばれるように
なったのだ。」
- ※全国的には七軒の家を巡ってものをもらうという例が多い
七軒乞食(神奈川 長野)
ものをもらう行為 ←→ ものを分け与える行為
貰う行為と施しの行為 =ギブアンドテイク
「ものもらいにやってくる人間は単なるホイト(乞食)では
なかった。彼は同時にマロウト(客人)だったからだ。マ
ロウトはひょっとすると,どことも知れないところから訪
れてくる身をやつしたカミであるのかも知れない。」
↓
ホイトはマロウトとして共同体に迎え入れられ,それぞれ
の家ではハレの宴にも連なって歓待されることにもなった。
モラヒの生活
- 信心に発する行為だった
西国や四国の巡礼参り
短調の旋律
人の心の深い悲しみを知ればこそ,その巡礼と行脚の旅か
らはいつのまにか哀傷の響きが立ち上ってくる。
- モノモラヒ 乞食のたたずまい
短調排除の時代
中学生による「浮浪者狩り」
= 時代の変調
芭蕉 「菰を着て 誰人います 花の春」
= 乞食の境涯にあこがれる気持ち
☆キーワード 「宿題」 ①【再掲載 2017.9】

◇家事を覚える宿題
¡ ご飯焚き
¡ おにぎり作り
¡ みそ汁作り
¡ 車洗い
¡ 茶碗洗い
¡ 風呂掃除
¡ 窓拭き
¡ 洗濯物干し
¡ トイレ掃除
¡ ぞうきんがけ
◇宿題は過去の遺物
校外での子どもの生活に学校が口を出すことはできない
↓↑
学校は多くをかかえすぎ
※「もっと学校でしかできないことの指導を」の声が大きくなって
きている
◇宿題の目的と性質
目的
子どもが自ら学習意欲を出して,面白がって自ら学ぶようにする
こと
性質
①「授業の不十分な点の補足」×
②「学習成果の定着」「授業の中での宿題の点検」が大切
③「学習習慣」の定着
↓↓↓
①「限定された復習」
②「宿題のやり方を授業中時間を割いてしっかり教える」
③「授業の確認作業」
④範囲・分量は計画的に
⑤具体的指示
◇算数の宿題
45分最後の5分間に2問の練習問題を
つまずきをすぐ指導
3~5分間で40人に○つけ
◇宿題の目的
□有田和正
子供がやる気を出して面白がって自ら学ぶようにすること
やる気のある子 → 自由
やる気のない子 → 問題
□市毛勝夫
1 限定された復習
2 やり方を授業中に指導
3 毎日の宿題は当日の「授業の確認作業」とするのが基礎
4 範囲分量は計画的に決めておく
5 予習~内容を具体的に指示
6 夏休みの宿題は「凡人努力型」の子供のため
天才型・秀才型はやらなくてよい
怠け型もやらなくてよい
□志水廣(愛知教育大)
丸つけ法で
□森一夫(大阪教育大)
自分の努力が認められるような宿題
自分の成長が実感できるような宿題
□酒井臣吾(北海道教育大函館)
生涯教育時代には不要
↑
多くの仕事を抱えるべきでない
今回は2月5日に続いて「山折哲雄さんはこんなことを」の33回目、
「いまを生きる」の紹介 3回目です。
出版社の案内には、
「さまよいつづける心と死生観。つぎからつぎへと新たに『人間
とは何か?』の問いを問いつづける現代の世相を解き明かす」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「身毒丸とは子どもに降りかかる様々な運命を映し出す永遠の主人公
の名前。血縁と脱血縁の間を彷徨い歩く寄る辺なき孤児の別名か?」
・「明るく楽しく健康な」人間を育成するという掛け声のもとに,短調排除の路線
をまっしぐらに進んできた。演歌の哀傷・短調の旋律が排除されて姿を消し
ていった。」
・「モノモラヒの眼病を治す手段として人の家を訪ね,者をもらって食
べる習慣があったという。ものもらいは,普通はお茶や握り飯,あ
るいは米や麦飯や餅だった。このようなモノモラヒアルキの習慣が
あって初めて眼疾がモノモラヒと呼ばれるようになったのだ。
- 柳田國男説」
もう一つ、再掲載になりますが、わたしの教育ノートから
「キーワード『宿題』」①を載せます。
☆山折哲雄さんはこんなことを 33-「今を生きる」 淡交社 1999年 (3)

◇米国開教師の目
桑港
世界宗教に共通するもの 慈悲・許し・愛
◇愛の姿
狩野芳崖(1828-1888)「慈悲観音」図
悲しみと慈愛 ~ 悲哀を柔らかく包み込む愛の形
◇身毒丸
中世の「しんとく(俊徳)丸」
弱法師(よろよろ歩く乞食坊主)
継子いじめ
貴種流離 + 母子相姦
しんとく丸を身毒丸と読み込んだのは折口信夫
身毒丸小説も 同性愛
脱血縁の物語
身毒丸
子どもに降りかかる様々な運命を映し出す永遠の主人公の名前
血縁と脱血縁の間を彷徨い歩く寄る辺なき孤児の別名?
◇短調排除の時代 現代生活の光と影
昭和57年新聞家庭欄
日本の子守歌 3歳幼児が拒絶反応
→ 次から次へと同じ投書
翌年 昭和58年 藤原新也 毎日新聞に寄稿
「テレビコマーシャルの影響ではないか。コマーシャルは時代
感覚を盛った瞬間的な効果音をもって子どもたちに襲いかか
るからだ。それが天まだ何ものにも染まっていない子どもの
心に影響する。母親の心臓音よりもエキサイティングな効果
音の支配下におかれている。そのためではないか。テレビコマー
シャルのサウンドには,驚くべくことに短調の形式が皆無である。
悲しみの感覚が追放されていると言ってもいい。一方通行の音感
教育が幼児たちの情操教育が幼児たちの情操教育に一種のゆが
みをもたらすことは避けられない。」
↑
戦後日本教育のひずみ
「明るく楽しく健康な」人間を育成するという掛け声のもとに,短調排除
の路線をまっしぐらに進んできた。演歌の哀傷・短調の旋律が排除
されて姿を消していった。」
※ 「五木の子守歌」「中国地方の子守歌」「禁じられた遊び」の悲哀
の旋律は?
ものもらい
柳田国男「モノモラヒの話」昭和10年
二つの意味があるのはなぜか
①瞼にできる腫れ物
②乞食
眼疾 いろいろな言い方
メモラヒ(能登)メボ(播州)メボシ(東北)
メイカゴ(茨城) メバチコ(和歌山)ノメ(奥州)
ホイト(ほぼ全国)マロウト(岡山)
「ホイト」 ~ 乞食そのものを意味
「マロウト」 ~ 客人
※メイボ = コジキ(乞食)=客の概念
柳田説
「モノモラヒの眼病を治す手段として人の家を訪ね,者をもらっ
て食べる習慣があったという。ものもらいは,普通はお茶や握
り飯,あるいは米や麦飯や餅だった。このようなモノモラヒア
ルキの習慣があって初めて眼疾がモノモラヒと呼ばれるように
なったのだ。」
- ※全国的には七軒の家を巡ってものをもらうという例が多い
七軒乞食(神奈川 長野)
ものをもらう行為 ←→ ものを分け与える行為
貰う行為と施しの行為 =ギブアンドテイク
「ものもらいにやってくる人間は単なるホイト(乞食)では
なかった。彼は同時にマロウト(客人)だったからだ。マ
ロウトはひょっとすると,どことも知れないところから訪
れてくる身をやつしたカミであるのかも知れない。」
↓
ホイトはマロウトとして共同体に迎え入れられ,それぞれ
の家ではハレの宴にも連なって歓待されることにもなった。
モラヒの生活
- 信心に発する行為だった
西国や四国の巡礼参り
短調の旋律
人の心の深い悲しみを知ればこそ,その巡礼と行脚の旅か
らはいつのまにか哀傷の響きが立ち上ってくる。
- モノモラヒ 乞食のたたずまい
短調排除の時代
中学生による「浮浪者狩り」
= 時代の変調
芭蕉 「菰を着て 誰人います 花の春」
= 乞食の境涯にあこがれる気持ち
☆キーワード 「宿題」 ①【再掲載 2017.9】

◇家事を覚える宿題
¡ ご飯焚き
¡ おにぎり作り
¡ みそ汁作り
¡ 車洗い
¡ 茶碗洗い
¡ 風呂掃除
¡ 窓拭き
¡ 洗濯物干し
¡ トイレ掃除
¡ ぞうきんがけ
◇宿題は過去の遺物
校外での子どもの生活に学校が口を出すことはできない
↓↑
学校は多くをかかえすぎ
※「もっと学校でしかできないことの指導を」の声が大きくなって
きている
◇宿題の目的と性質
目的
子どもが自ら学習意欲を出して,面白がって自ら学ぶようにする
こと
性質
①「授業の不十分な点の補足」×
②「学習成果の定着」「授業の中での宿題の点検」が大切
③「学習習慣」の定着
↓↓↓
①「限定された復習」
②「宿題のやり方を授業中時間を割いてしっかり教える」
③「授業の確認作業」
④範囲・分量は計画的に
⑤具体的指示
◇算数の宿題
45分最後の5分間に2問の練習問題を
つまずきをすぐ指導
3~5分間で40人に○つけ
◇宿題の目的
□有田和正
子供がやる気を出して面白がって自ら学ぶようにすること
やる気のある子 → 自由
やる気のない子 → 問題
□市毛勝夫
1 限定された復習
2 やり方を授業中に指導
3 毎日の宿題は当日の「授業の確認作業」とするのが基礎
4 範囲分量は計画的に決めておく
5 予習~内容を具体的に指示
6 夏休みの宿題は「凡人努力型」の子供のため
天才型・秀才型はやらなくてよい
怠け型もやらなくてよい
□志水廣(愛知教育大)
丸つけ法で
□森一夫(大阪教育大)
自分の努力が認められるような宿題
自分の成長が実感できるような宿題
□酒井臣吾(北海道教育大函館)
生涯教育時代には不要
↑
多くの仕事を抱えるべきでない
この記事へのコメント
なるほど、と思いました
自分の体験にはありません。
宿題はなくしてもよいと思います。
学習習慣をつけることは家庭学習の範囲と考えます。
家庭や社会でも行われるのが教育です。
今のままではいずれ学校現場が立ちゆかなくなってしまうように思います。
靴の紐を縛る練習をしたり、掃除の三角巾を結ぶ練習をしたり、というような宿題も必要かと思います。
靴の紐を縛る練習をしたり、掃除の三角巾を結ぶ練習をしたり、というような宿題も必要かと思います。
ものもらい・眼疾ですが、柳田説の「モノモラヒ」なる程です!?(=^・ェ・^=)
わたしも、この本を読み、ものもらいのいわれを知りました。
座学ではない宿題も案外楽しいそうです。