「英傑の日本史」井沢元彦 角川学芸文庫 2013年 ⑦(最終) /「いろいろあるよね、人生だもん №44」冨田富士也(子供教育フォーラム代表)(『月刊少年育成』連載 せめぎあっておりあっておたがいさま より)【再掲載 2017.6】

今日は2月21日、金曜日です。


今回は、2月17日に続いて、井沢元彦さんの
「英傑の日本史 坂本龍馬編」の紹介7回目 最終です。


出版社の案内には、

「坂本龍馬の生涯を軸にすえ、武市半平太、西郷隆盛、高杉晋作、勝海
 舟、徳川慶喜ほか幕末の英傑たちが歩んだ激動のドラマに肉迫。虚像
 多き龍馬像をつきくずし、新たな龍馬と維新のダイナミズムを描きだ
 す」

とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「死の商人トーマス・グラバーは倒幕勢力を支援」


・「船籍は長州、旗印は薩摩、運用は亀山社中でユニオン号問題を収め
る」


・「西郷隆盛が慶喜を挑発するため御用党というテロ集団を結成させ江
戸で放火略奪をやらせた」


・「著者は見廻り組犯行説 伝達が遅れたのではないか?」




もう一つ、再掲載になりますが、冨田富士也さんの
「いろいろあるよね、人生だもん 」を載せます。
何回か間をおいて読みましたが、歳を重ねるにつれ心に響きます。





☆「英傑の日本史」井沢元彦 角川学芸文庫 2013年 ⑦(最終)

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◇龍馬の見た大政奉還

 独立採算の亀山社中
 薩摩藩の援助のもと独立組織
    - 亀山社中


有力メンバー 
     沢村惣之丞、近藤長次郎、陸奥宗光(紀州)
死の商人   トーマス・グラバー 倒幕勢力の支援


同盟への第一歩
楠本文吉
      - 伝言  伊藤俊輔、井上多聞が使者
→ 小松と共にグラバー商会


ユニオン号問題を収める
     「船籍は長州、旗印は薩摩、運用は亀山社中」
桂小五郎  薩摩に米を無償提供


長次郎の謝礼金横領 長州藩から数百円の謝礼金
長次郎は個人で留学しようと考えた 
      → 礼金を社中に持ち帰らずグラバーに話して斡旋を頼む
→ 社中のメンバーは怒った  
          切腹を言い渡した
       龍馬留守中の悲劇


龍馬の初恋の人
     佐那の捨て身の告白
 

   佐那のその後、お龍の出自
佐那  … 龍馬の婚約者として生きた
楢崎龍 … 父は楢崎将作(長州藩士) 


お龍はおもしろい女 
     安政の大獄で将作も捕まり牢に → 病死


龍馬とお龍の出会い 
     扇岩(七条新地の旅館)


龍馬の家になった寺田屋 
     寺田屋事件 
       島津久光の命令 = 同士討ち
お龍 寺田屋


高杉晋作からもらったピストル
     1866年正月 
      龍馬は高杉晋作から上海土産のピストルをもらう


   藩の面子にこだわるな
     桂 薩摩藩邸到着は1月8日
  龍馬が20日に行くと話がまとまっておらず怒った


六箇条の裏書き
     西郷を龍馬が説得 
      「頭を下げてくれ」(余裕がある方が)
→ 西郷が受け入れた
桂の帰国をとどめ西郷の方から同盟を申し入れた


寺田屋事件とお龍の活躍
     危機一髪の脱出劇


龍馬スパイ説 
     1866年1月21日 薩長同盟が成立した


新婚旅行で高千穂山へ


ワイルウェフ号座礁と池内蔵太の死


幕府もこの国をよくするための「同志」  
     長州の勝ち


日本を変えるため後藤と手を結ぶ
     溝淵広之丞を仲介として後藤象二郎と長崎の料亭で会った


身分の壁を越えるブーツ  
     ブーツは身分制の外 
     身分社会カ足下を見れば分かる


   大政奉還と船中八策
  多くの師に学びアイデアを吸収
- 様々な人々との接触
       河田小龍、松平春嶽、勝海舟、大久保一翁、西郷隆盛
       横井小楠、三岡八郎(のち由利公正)、後藤象二郎
→ 亀山社中から海援隊


   いろは丸で日本初の海難事故
紀州藩が8万3千両(のち7万両に減額)もの賠償金


薩長同盟に隠されていたもの  
     1867年9月姉・乙女と実家で再会


天皇の外祖父という切り札


英将たちの表と裏 
      西郷隆盛が慶喜を挑発するため御用党というテロ集団を
     結成させ江戸で放火略奪をやらせた


   33年の短い生涯 
    1867年11月15日 寺田屋で中岡慎太郎と話し込んでいた




◇龍馬暗殺に関する一考察 あとがきにかえて

 始めは新撰組が疑われた

 見廻り組 今井信郎の「自白」

 → 最近、紀州藩犯行説 「いろは丸問題」
三浦休太郎と天満屋事件

 井沢元彦 
   見廻り組犯行説  伝達が遅れたのではないか?









☆「いろいろあるよね、人生だもん №44」冨田富士也(子供教育フォーラム代表)(『月刊少年育成』連載 せめぎあっておりあっておたがいさま より)【再掲載 2017.6】

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 近隣のお寺の僧侶が互いに協力し合って法要するような岐阜県のある
山間部の「おせがき」に招かれた。


 盆供養を前にしての大事な年中行事で講演先の三か寺とも本堂は足腰
に手をあて撫でるお年寄りでいっぱいだった。
 

 その合間をぬって地域にある養護老人ホームに「慰問」講演で訪れた。
 

 入寮者、80名近くの平均年齢は84歳位だと付き添いの社会福祉協
議会会長さんが教えてくれた。



 喜寿を迎える会長さんも手品の慰問によくホームに行っているようで
事前のレクチャーを送迎車のなかでうけた。


 多くは一人暮らしのお年寄りであること。肉親の有無は関係なくそれ
ぞれの事情のなかで入寮している。


 その事情は他人がとやかく語れるものではないので会長さんがさらっ
と話すひと言から勝手に私がイメージをふくらまして聞くしかない。


「人間関係が上手くいかなかったりね…」


「どんどん外に出て買物にいくお年寄りもいますねぇ…」       


「入寮しているお年寄りのほとんどはこの地域の方ですよ…」



 経済基盤の貧しい時代には老人ホームはなかった。


 たとえば、どんなにしんどい人間関係を家族のなかで抱えても雨露を
しのぐためには「この家」にいるしかなかった。


 夫の理不尽な暴力から逃れ身をまもりたいと願ってもそんなに簡単に
かけこみ寺はなかった。


 また地縁・血縁の村社会から飛び出ていくには「他人を頼らない、自
分の力だけを信じて生きていく」力強さが必須だった。


 それはそのまま、「他人に憎まれても恨まれても生きのびていく」た
くましさでもあったはずである。



 その生死をかけた覚悟に一歩踏み出す機会を見失ってしがらみに苦し
みぬいて一生をおえた人もいたにちがいない。


 そう思うと福祉社会の到来で救われた人は数多いはずである。


 しかしその一方、福祉で今日の生活は保障されたものの、それまでの
人間関係を背負い切れなかった、とその悲しみを今も引きずっている人
はいるはずである。



 その葛藤が厳しく渦巻くのがまた福祉現場の実態でもある。



 私は会長さんの話をうかがいながら、

「元気な体でこの地域に暮らしていても、人間関係の悲哀からホームに
 入っているお年寄りがいる」

ことを察して少し切ない気持ちになっていた。


 小さな村の集会所のような雰囲気のホーム内の会場には30名近くの
お年寄りが私の登壇を待っていてくれた。


 男性数名を除いて他はすべて七、八十歳代の女性であった。


 身綺麗で元気そうな「おばあちゃま」から、戦後の混乱を必死に生き
のびてきたような歴史を感じさせる顔立ちの「おばあちゃん」まで、本
当にさまざまな人がいてくれた。


 多少の話の組み立ては考えるが、基本的にはその場にいる人のお顔を
みて講演の内容を変えていく私である。


 最初は会長さんの送迎車のなかで聴いた演歌歌手の村田英雄さんの歌
を一緒に歌って山坂越えてきた人の一生を振り返ってみようと思ってい
た。



 ところが、登壇すると同時に、気のよさそうな小柄な男性の笑顔が私
の目に飛び込んできた。


 ステッキにジャージー姿が私の父親の晩年(享年83歳)に似ていた。


 私は父親と母親と三人で暮らしていた幼いころの「夫婦げんかの絶え
ない日々」を語りはじめていた。


 昭和30年代後半の話である。


 貧困と外面のいい父親の家庭内での横暴さ、そして母親が「気丈にな
るしか家をもりたてられなかった」日々の話は予想以上に聴衆の気をひ
いた。


 何度も別れ話のあった両親が結局は別れられず、私と同居するように
なってから、一人息子の私を「味方」につけ母親が圧倒的に父親をコント
ロールしていった話がとくに受けた。


 もちろんそこには老いていく父親が強がりつつも、過去をわびる自責
の念があればこそである。


「おじいさんが死んでも私は泣かないよ」


と気丈に言っていた母親が葬儀でいよいよ茶毘に付すときに取り乱して
柩にすがりつくシーンの話になった。


 するとあの小柄な男性がもぞもぞし出した。


 私は「落ち」に近づいていた。


「そんな母に私は父の年忌や供養の日になると言うのです。『あのとき
 は驚いたよな。おふくろは親父が本当は好きだったんだな』と。す
 ると母は私たち夫婦や孫に向かって『エー そんなことがあったか
 ねぇ』ととぼけ顔で言い返すのです」



 若干反応の遅いお年寄りのなかで、その男性がいちはやく「クスッ」
と私の「落ち」に笑ってくれた。


「旦那さんも、いろいろあったみたいですね」


 私の間髪を入れない問い掛けにその男性が目元に涙をいっぱいためて
照れ臭そうに黙って笑った。


 私は父親の自責の念の思いを想い出していた。




 約束の20分のお話が終わりホームを出て会長さんが感想を言ってく
れた。

「いくつになっても親の話は感動します」



 子のない人はいても親のない人はいない。


 私も今年の盆はしばらくぶりで母親と一緒に父親の墓参りに行くこと
にする。


 すでに母親も父親の年齢を越える身となった。


 投げ出す足を手で撫でる母親の姿を今日も旅先で思い出している。

この記事へのコメント

hagemaizo
2025年02月21日 08:07
サムネイル画像がお読みになった本の表紙というのが良いですね。
同じ本を読みたいと思ったら探す苦労がなくなりそう。
2025年02月21日 08:13
お邪魔しました
2025年02月21日 09:26
坂本龍馬編最終回、ありがとうございました。
死の商人だった筈のグラバーが、のちに帰化してキリンビールの元になるものを開発して息子が長崎に住んでいたのは面白かったです。
ただ息子さんはその長崎に原爆が落とされて、自〇されてしまったのは可哀想でした。
ハマコウ
2025年02月21日 09:33
hagemaizoさん ありがとうございます。
初めて気がつきました。前の記事を探すのに役立ちますね。
ハマコウ
2025年02月21日 09:34
くまらさん 来訪ありがとうございます。
ハマコウ
2025年02月21日 09:37
萌田かずきちさん ありがとうございます。
グラバー園には観光で訪ねたことがあるのですが、
グラバーそのひとについては知らないことばかりです。
2025年02月21日 11:00
nice! です  Seesaaブログへのご訪問・コメント、ありがとうございます。
2025年02月21日 11:58
いろんなジャンルの本を読まれているんですね。
幅の広さに感服です。
2025年02月21日 13:41
きました^^
2025年02月21日 15:09
NICE!です。
2025年02月21日 15:15
niceです。
2025年02月21日 16:29
最近は英傑居ませんね。
2025年02月21日 16:52
色々な人生が集まった老人ホームで語られた話に
私も、今は亡き親族の人達を思い起こしました。
ハマコウ
2025年02月21日 17:10
それいゆさん 来訪ありがとうございます。
ハマコウ
2025年02月21日 17:10
とし@黒猫さん 励ましの言葉をありがとうございます。
ハマコウ
2025年02月21日 17:11
ポピポさん 来訪ありがとうございます。
ハマコウ
2025年02月21日 17:11
ポピポさん 来訪ありがとうございます。
ハマコウ
2025年02月21日 17:11
newtonさん NICE!をありがとうございます。
ハマコウ
2025年02月21日 17:12
POP99Lifeさん niceをありがとうございます。
ハマコウ
2025年02月21日 17:16
lamer-88さん ありがとうございます。
このごろ正々堂々と呼ぶのにふさわしい人物が思い浮かびません。
ハマコウ
2025年02月21日 17:18
sasanonoさん ありがとうございます。
わたしもこの話を読んでいると父母をはじめとしてなくなった身近な人を思い出します。
2025年02月21日 17:33
今日も来ましたよ♪
2025年02月21日 17:53
こんにちは
寒いです。あと少し。来週は暖かくなりそうです。
2025年02月21日 18:20
こんばんは。
拝読させて頂きました。
nice!です^^
2025年02月21日 18:21
nice!
ハマコウ
2025年02月21日 18:50
てんてんさん 来訪ありがとうございます。
ハマコウ
2025年02月21日 18:50
てんてんさん 来訪ありがとうございます。
ハマコウ
2025年02月21日 18:50
arashiさん ありがとうございます。
寒さにもまいりますが、強風には悩まされます。
ハマコウ
2025年02月21日 18:51
絵瑠さん nice!をありがとうございます。
ハマコウ
2025年02月21日 18:51
Mitchさん nice!をありがとうございます。
たいち
2025年02月21日 19:48
niceです
2025年02月21日 21:21
nice!です。
2025年02月21日 21:41
あっという間に 2月も末ですね。
週末は こちら南関東でも雪が・・・なんて予報も。
今年は穏やかな春の陽気が”長く続く春”であってほしいですね!^^
2025年02月21日 23:25
それぞれのテーマは興味深いものですが、 歴史書の紹介部分は情報整理と独自の考察を強化することが求められるでしょう。たとえば、「ユニオン号問題を収める」などの記述は背景説明が不足しており、歴史に詳しくない読者にはわかりにくいと思います。
冨田富士也のエッセイは、いきなり紹介が始まるため、「なぜこのエッセイが掲載されているのか?」と、記事としては唐突な感じがします。「歴史上の偉人も人生の困難を乗り越えてきた。現代の私たちも、さまざまな悩みを抱えながら生きている。そんな中で共感できる文章を紹介したい」といったつなぎを入れると、より自然に読めるでしょう。
2025年02月22日 01:52
引き続きこちらでも拝見させていただきます。
ハマコウ
2025年02月22日 06:34
たいちさん niceをお願いします。
ハマコウ
2025年02月22日 06:35
浅葱さん nice!をありがとうございます。
ハマコウ
2025年02月22日 06:38
ゆうのすけさん ありがとうございます。
穏やかな暖かな日が続くことを願われますね。
ハマコウ
2025年02月22日 06:44
いっぷくさん ありがとうございます。
より分かりやすい記事の紹介の仕方をありがとうございます。
わたしには難しいことですが努めます。
2つ目の記事については、続きからの再掲載のものとなっていることもあるので、つなぎの文をいれると不自然さが減りますね。
ハマコウ
2025年02月22日 06:44
yamatonosukeさん ありがとうございます。
こちらでもよろしくお願いいたします。
2025年02月22日 21:14
(・∀・)イイネ!!
夏炉冬扇
2025年02月22日 21:19
拝見
ハマコウ
2025年02月22日 21:21
KOMEさん (・∀・)イイネ!!をありがとうございます。
ハマコウ
2025年02月22日 21:22
夏炉冬扇さん 来訪ありがとうございます。