「渡来人とは何者か」武光誠 河出書房新社 2024年 ③ /「育児の帝王学」岸本裕史 小学館 1999年 ②【再掲載 2017.11】
今日は3月12日、水曜日です。
今回は、3月9日に続いて武光誠さんの
「渡来人とは何者か」3回目の紹介です。
ぼんやりとしていた、わたしの「渡来人」像がはっきりしてきました。
出版社の案内には、
「東漢(やまとのあや)氏、秦氏、自称『渡来人』の豪族たち…。彼ら
の素性、渡来時期ヤマト政権下の足跡とは?近年のDNA解析の成果
もふまえ、誤解に満ちた虚像と意外な実像を追う。著者の武光誠氏
は、『神道』『仏教』『日本神話』『陰陽道』など、現代の日本人の精神
に深くかかわる思想や信仰を、わかりやすく解説することで定評があ
り、数多くの本を世に送り出してきました。
本書では、『渡来人』の科学的新事実から、その後の足取りをつぶさ
に追っていくことで、日本人と『渡来人』が日本文化に与えた影響を
捉えなおします。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「7万年前、『新人』がアフリカから各地へグレートジャーニーを始
めた。アジアの大半と南北アメリカに、原アジア人(古モンゴロイ
ド)が広がった。ヴェルム氷期(約7万年前~約1万年前)に原アジ
ア人の一部が中国人系民族(新モンゴロイド)に進化した」
・「8000年前頃から騎馬民族が急増し満州や朝鮮半島に広がった。北部
の韓人の大部分は追われて半島南部の韓人と合流した」
・「騎馬民族の勢力に追われた半島南端の韓族が日本に移住し、東漢、
秦氏などの渡来豪族になった。のち200年後百済と高句麗が滅亡し
たときに百済王や高麗氏などの騎馬民族系の渡来人が渡ってきて日
本に移住した」
もう一つ、再掲載になりますが、岸本裕史さんの
「育児の帝王学」②を載せます。
家庭教育の大切さを教えてくれる本です。
☆「渡来人とは何者か」武光誠 河出書房新社 2024年 ③

◇「渡来人」の時代以前の中国、朝鮮半島、日本 (1)
□激動の朝鮮半島滋賀日本列島への移住者を生んだ
様々なアジア系民族が集った地
新人
約30万年前 アフリカ
7万年前
アフリカから各地へ 「グレートジャーニー」
アジアの大半と南北アメリカに原アジア人(古モンゴロイド)
が広がる
ヴェルム氷期
約7万年前~約1万年前
原アジア人の一部が中国人系民族(新モンゴロイド)に進化
寒冷期に適応した胴大、手足短、鼻細、一重まぶた(瞼
に脂肪)
→ 大きく南下し中国人となった
中国人が移動したあとに中国人系民族(新モンゴロイド)
□多様な民族の勢力争いの場となった朝鮮半島
紀元前1世紀 朝鮮半島南部
濊人(わいじん) 漢人 倭人 騎馬系民族
韓人 シベリアから中国東方経由して南下
原アジア人は紀元前1万4千年には朝鮮半島にまばら
倭人 日本から半島南端を渡ってきた - 縄文時の流れを引く
8000年前頃から
騎馬民族急増
→ 満州や朝鮮半島に広がる
→ 北部の韓人の大部分は追われて半島南部の韓人と合流
□騎馬民族に追われて日本へ
676年 新羅王朝が初めて朝鮮半島を統一
(日本 壬申の乱の4年後)
それまで、北方の勢力が南方の韓人などを支配に組み込
もうした騒乱
紀元前108年 朝鮮は中国の植民地となった
313年 高句麗王朝が朝鮮半島を領地にした
百済が馬韓の地を統一
騎馬民族の勢力に追われた半島南端の韓族が日本に移住し、東漢、
秦氏などの渡来豪族になった
のち200年後百済と高句麗が滅亡したときに百済王や高麗氏など
の騎馬民族系の渡来人が渡ってきて日本に移住した
□「渡来人」は異民族ではなく、日本人に近い人々だった
渡来人は今の韓国人、朝鮮人とイコールではない
現在の韓国人、朝鮮人
~ もとは「女真族」「満州族」中国東北地区を本拠とした集
団に起源
- 中国人系(新モンゴロイド)の騎馬民族
紀元前6,7世紀
半島北部に勢力を広げ「朝鮮族」と呼ばれた
つまり2世紀末頃の扶余、高句麗、北よく祖、馬韓、辰韓
はすべて同系族の民族
新羅が4世紀の時点ですでに朝鮮族の国
新羅語が現在の韓国語、朝鮮語の祖先
☆「育児の帝王学」岸本裕史 小学館 1999年 ②【再掲載 2017.11】

◇逞しい子どもに育てるために
父親は父親らしくなる
慈母厳父 → 怒母弱父
母はヒステリック、父は黙ったまま
父親の存在感を示す
① ときどき抱き上げる
② 穏やかにそして厳しく戒める
③ 近所を散歩する
ドライブよりは散歩
④ 子どもに手紙を書く
子どもの枕元に → 身近な存在
⑤ 子どもの優れた面を知る
怒母からの脱皮
① 父親の仕事は認め悪口は言わない
② 手伝わせて褒める
③ 汚いところの掃除をやらせる
湯垢とり 便器掃除 台所のヘドロとり どぶ掃除
④ したこと自体を評価する
⑤ スキンシップを心がける
大切なのは慈しみの心
夫婦が互いに尊敬している
夫婦
- 親しみと尊厳がないと夫婦間の愛情は長続きしない
= 夫婦それぞれが確固とした生き方を!
子どもへの本当の配慮とは
貝原益軒「和俗童子訓」
厚着をさせず冬でも脇の大きく開いた服装をさせなさい
汗腺の数に差
土と水と風と緑に親しませる
子どもの喧嘩は悪事ではない
時には背伸びをさせてみる
小さい子の買い物
いろいろなことをやらせる
よく働いた昔の子
「よく遊びよく働きよく学ぶ子」が必要に
まずパジャマの後始末から
後始末をやらない男は責任をとらない
他人のせいにしがち
後始末は美的センスの芽
しつけの鉄則
① 無限の優しさと微笑みを称えてしつける
② 親は手を下さず,子ども自身にやらせる
③ 3か月間毎日続けさせときどき褒めたり励ましたりする
汚いところを綺麗にする 汚物の処理
快い挨拶を心がける
近所の大人たちとの接し方
近所の人たちが喜ぶようなことを!
今回は、3月9日に続いて武光誠さんの
「渡来人とは何者か」3回目の紹介です。
ぼんやりとしていた、わたしの「渡来人」像がはっきりしてきました。
出版社の案内には、
「東漢(やまとのあや)氏、秦氏、自称『渡来人』の豪族たち…。彼ら
の素性、渡来時期ヤマト政権下の足跡とは?近年のDNA解析の成果
もふまえ、誤解に満ちた虚像と意外な実像を追う。著者の武光誠氏
は、『神道』『仏教』『日本神話』『陰陽道』など、現代の日本人の精神
に深くかかわる思想や信仰を、わかりやすく解説することで定評があ
り、数多くの本を世に送り出してきました。
本書では、『渡来人』の科学的新事実から、その後の足取りをつぶさ
に追っていくことで、日本人と『渡来人』が日本文化に与えた影響を
捉えなおします。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「7万年前、『新人』がアフリカから各地へグレートジャーニーを始
めた。アジアの大半と南北アメリカに、原アジア人(古モンゴロイ
ド)が広がった。ヴェルム氷期(約7万年前~約1万年前)に原アジ
ア人の一部が中国人系民族(新モンゴロイド)に進化した」
・「8000年前頃から騎馬民族が急増し満州や朝鮮半島に広がった。北部
の韓人の大部分は追われて半島南部の韓人と合流した」
・「騎馬民族の勢力に追われた半島南端の韓族が日本に移住し、東漢、
秦氏などの渡来豪族になった。のち200年後百済と高句麗が滅亡し
たときに百済王や高麗氏などの騎馬民族系の渡来人が渡ってきて日
本に移住した」
もう一つ、再掲載になりますが、岸本裕史さんの
「育児の帝王学」②を載せます。
家庭教育の大切さを教えてくれる本です。
☆「渡来人とは何者か」武光誠 河出書房新社 2024年 ③

◇「渡来人」の時代以前の中国、朝鮮半島、日本 (1)
□激動の朝鮮半島滋賀日本列島への移住者を生んだ
様々なアジア系民族が集った地
新人
約30万年前 アフリカ
7万年前
アフリカから各地へ 「グレートジャーニー」
アジアの大半と南北アメリカに原アジア人(古モンゴロイド)
が広がる
ヴェルム氷期
約7万年前~約1万年前
原アジア人の一部が中国人系民族(新モンゴロイド)に進化
寒冷期に適応した胴大、手足短、鼻細、一重まぶた(瞼
に脂肪)
→ 大きく南下し中国人となった
中国人が移動したあとに中国人系民族(新モンゴロイド)
□多様な民族の勢力争いの場となった朝鮮半島
紀元前1世紀 朝鮮半島南部
濊人(わいじん) 漢人 倭人 騎馬系民族
韓人 シベリアから中国東方経由して南下
原アジア人は紀元前1万4千年には朝鮮半島にまばら
倭人 日本から半島南端を渡ってきた - 縄文時の流れを引く
8000年前頃から
騎馬民族急増
→ 満州や朝鮮半島に広がる
→ 北部の韓人の大部分は追われて半島南部の韓人と合流
□騎馬民族に追われて日本へ
676年 新羅王朝が初めて朝鮮半島を統一
(日本 壬申の乱の4年後)
それまで、北方の勢力が南方の韓人などを支配に組み込
もうした騒乱
紀元前108年 朝鮮は中国の植民地となった
313年 高句麗王朝が朝鮮半島を領地にした
百済が馬韓の地を統一
騎馬民族の勢力に追われた半島南端の韓族が日本に移住し、東漢、
秦氏などの渡来豪族になった
のち200年後百済と高句麗が滅亡したときに百済王や高麗氏など
の騎馬民族系の渡来人が渡ってきて日本に移住した
□「渡来人」は異民族ではなく、日本人に近い人々だった
渡来人は今の韓国人、朝鮮人とイコールではない
現在の韓国人、朝鮮人
~ もとは「女真族」「満州族」中国東北地区を本拠とした集
団に起源
- 中国人系(新モンゴロイド)の騎馬民族
紀元前6,7世紀
半島北部に勢力を広げ「朝鮮族」と呼ばれた
つまり2世紀末頃の扶余、高句麗、北よく祖、馬韓、辰韓
はすべて同系族の民族
新羅が4世紀の時点ですでに朝鮮族の国
新羅語が現在の韓国語、朝鮮語の祖先
☆「育児の帝王学」岸本裕史 小学館 1999年 ②【再掲載 2017.11】

◇逞しい子どもに育てるために
父親は父親らしくなる
慈母厳父 → 怒母弱父
母はヒステリック、父は黙ったまま
父親の存在感を示す
① ときどき抱き上げる
② 穏やかにそして厳しく戒める
③ 近所を散歩する
ドライブよりは散歩
④ 子どもに手紙を書く
子どもの枕元に → 身近な存在
⑤ 子どもの優れた面を知る
怒母からの脱皮
① 父親の仕事は認め悪口は言わない
② 手伝わせて褒める
③ 汚いところの掃除をやらせる
湯垢とり 便器掃除 台所のヘドロとり どぶ掃除
④ したこと自体を評価する
⑤ スキンシップを心がける
大切なのは慈しみの心
夫婦が互いに尊敬している
夫婦
- 親しみと尊厳がないと夫婦間の愛情は長続きしない
= 夫婦それぞれが確固とした生き方を!
子どもへの本当の配慮とは
貝原益軒「和俗童子訓」
厚着をさせず冬でも脇の大きく開いた服装をさせなさい
汗腺の数に差
土と水と風と緑に親しませる
子どもの喧嘩は悪事ではない
時には背伸びをさせてみる
小さい子の買い物
いろいろなことをやらせる
よく働いた昔の子
「よく遊びよく働きよく学ぶ子」が必要に
まずパジャマの後始末から
後始末をやらない男は責任をとらない
他人のせいにしがち
後始末は美的センスの芽
しつけの鉄則
① 無限の優しさと微笑みを称えてしつける
② 親は手を下さず,子ども自身にやらせる
③ 3か月間毎日続けさせときどき褒めたり励ましたりする
汚いところを綺麗にする 汚物の処理
快い挨拶を心がける
近所の大人たちとの接し方
近所の人たちが喜ぶようなことを!
この記事へのコメント
認識は大切ですよね。
今更ですが、日々の読書とその冊数、そしてレジュメするそのお力に驚かされています。
拝読させて頂きました。
真冬でも半ズボンでいた子どもの頃のことを思い出します。
それが、このごろは、半ズボンで歩いている小学生を見て感心するようになってしまいました。
そこまで出ているのに、だれの本だったか忘れてしまうことが頻繁になってきました。自分のブログで、かすかに残るキーワードで検索すると出てくるので、今の自分には役立っています。
備忘ブログにおつきあいくださり、感謝しております。
nice!の押し逃げで申し訳ないですが・・・。
我が町は、今日も雨気配で・鬱陶しい一日に成りそうです(>!<"・・・弥生も半ばに成るというのに・可笑しな空模様です!!。春の陽射しが待ち遠しいです!!。
子供の育て方h大変ですね。
朝起きたときには青空が見え、太陽も輝いていたので晴れかと思っていました。しかし、その時間はわずか。昼には土砂降りの雨となり、一日グズグズしていました。わたしも陽射しが待ち遠しく思います。
子育ても少しずつ変わってきていますね。
子育ても少しずつ変わってきていますね。
今日も来ましたよ♪
NICEです(^^)
足跡が残っているのですね。九州の遺跡に行ければと思っています。