「渡来人とは何者か」武光誠 河出書房新社 2024年 ④ /「日本子育て物語-育児の社会史」 上笙一郎 筑摩書房 1991年 ⑪【再掲載 2017.3】
今日は3月16日、日曜日です。
今回は、3月12日に続いて武光誠さんの
「渡来人とは何者か」4回目の紹介です。
ぼんやりとしていた、わたしの「渡来人」像がはっきりしてきました。
出版社の案内には、
「東漢(やまとのあや)氏、秦氏、自称『渡来人』の豪族たち…。彼ら
の素性、渡来時期ヤマト政権下の足跡とは?近年のDNA解析の成果
もふまえ、誤解に満ちた虚像と意外な実像を追う。著者の武光誠氏
は、『神道』『仏教』『日本神話』『陰陽道』など、現代の日本人の精神
に深くかかわる思想や信仰を、わかりやすく解説することで定評があ
り、数多くの本を世に送り出してきました。
本書では、『渡来人』の科学的新事実から、その後の足取りをつぶさ
に追っていくことで、日本人と『渡来人』が日本文化に与えた影響を
捉えなおします。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「紀元前800年あたりまでの朝鮮半島南端の文化は、縄文時代の日本
の文化と極めて近かった。現在の日本文化は縄文時代の上につくら
れた」
・「縄文文化は、高度な精神性、技術力、芸術性をもちながらも、人間
平等の発想が守られた文化である。また、自然物にまつわる神を祀
る精霊崇拝(アニミズム、多神教)に立つ独自文化であり、新たな文
化をつくる意欲を持続させ、独自の文化を発展させた珍しい例とい
うことができる」
・「20年ほど前、弥生時代開始期が紀元前 800年頃に改められた。水稲
稲作は、100年近くかけじわじわ九州北部に普及。さらに、それか
ら500年近くかけて水稲稲作が日本に広がていった」
もう一つ、再掲載になりますが、上笙一郎さんの
「日本子育て物語-育児の社会史」⑪を載せます。
原始から現代まで、子育てがどのように行われてきたのか、
大まかに知ることができました。
☆「渡来人とは何者か」武光誠 河出書房新社 2024年 ④

◇「渡来人」の時代以前の中国、朝鮮半島、日本 (2)
□日本に来た「韓族」はどんな人たちか
韓族
‥ 中国人、モンゴル人などの新モンゴロイド(中国系民族)が原
アジア人から進化する前に朝鮮半島に南下していた人々
= 縄文時代の日本人と同じ原アジア人で、朝鮮族とは異なる文
化をもつ人々であった
だから、紀元前800年あたりまでの朝鮮半島南端の文化は、
縄文時代の日本の文化と極めて近かった。
紀元前800年頃
水稲稲作の技術が江南から九州北部と朝鮮半島南端にほぼ同時
期に伝わった
これにより、日本人、韓族の居住地に江南風の稲作文化が急速
に広まった
朝鮮北部
麦の畑作(麦(ばく)作(さく))
2,3世紀、馬韓、辰韓、弁辰3地域 多くの小国が分立
4世紀半ば小さいながらも独立した国を韓の地で
百済 新羅
南端の加耶は小国分立
◎日本と加耶の間の人の往来がさかんになる
◎ 現在の日本文化は縄文時代の上につくられた
□独特の個性をもつ縄文文化
高度な精神性、技術力、芸術性をもちながらも、人間平等の発想が
守られた文化
多様な土器、木器、石器、骨角器、皮革製品
漆やアスファルトも用いられた
林(クリ、シイ、トチ、ドングリ)
植林によって雑穀を栽培した
縄文集落
ほぼ同じ大きさの住居と1棟の大型建物(祭祀)
階級、身分の発想はない
自然物にまつわる神を祀る精霊崇拝(アニミズム、多神教)に立つ独
自文化
新たな文化をつくる意欲を持続させ、独自の文化を発展させた
珍しい例
□縄文人のDNAをめぐる謎
40年ほど前の有力な説
「弥生時代の開始時に、朝鮮半島から稲作技術をもった移住者が
大量に日本に渡ってきて、縄文人と混血して弥生時代の日本人
となった」
しかし、20年ほど前、弥生時代開始期が、紀元前200年ごろを紀
元前 800年頃に改められた。水稲稲作は、九州北部が一気にではな
く、100年近くかけじわじわ九州北部に普及。さらに、それから500
年近くかけて水稲稲作が日本に広がていったことになる。
☆「日本子育て物語-育児の社会史」 上笙一郎 筑摩書房 1991年 ⑪【再掲載 2017.3】
[出版社の案内]
原始時代から現代まで ― 子どもの歴史と子育ての歩みを
豊かな資料を引きつつ興味深く語り、日本人の育児の知恵
と子どもへの深い思いを明らかにする。

≪近代≫②
◇ボーイスカウトとスポーツ - 子供集団と遊びの近代化
□村の子供組の弱体化
小学校長が子供組の弾圧解体
→ ボーイスカウトの登場
□ボーイスカウト運動
英国軍人
バーデン・パウエル
戦争から発生
- 軍隊に倣ったものが多い
・ヒットラー・ユーゲント
・大日本青少年団
1908年 ボーイスカウト
1921年 大日本青少年連盟<少年団>
① 地域に囚われぬ
② 自由参加
③ 規約がある
④ 大人のリーダーシップ
□遊びの主流は近代スポーツへ
和楽 から スポーツへ
童歌遊び から 近代的競技へ
「偶然性」 から 「主体的努力」
□「おもちゃ」の商品化・金属化・動力化
競争原理
◇麻疹疱瘡怖からず - 近代小児医学
「命さだめ」「器量さだめ」
「はしか」と「疱瘡」
1862年 江戸市中 麻疹死亡者 267844人
精霊神・神祭で我が子を守る
子供を解放した近代小児医学
ドイツ系小児医学
科学の大鉈が切り捨てたもの
生活に即した子育て法
◇「洟ったらし」の克服へ
「洟ったらし」は子供の代名詞
非衛生的
汚い子供ときれいな子供との分かれ目
イザベラ・バード 『日本奥地紀行』
経済的に豊かか否か
呪術迷信から社会衛生的な手だてへ
病人目・寝小便小僧をなくす道
地域社会と学校施設の双方における衛生政策
◇わが子を学校に通わせぬ親たち - 自由主義教育の試み
新しい子育て観を持った親の登場
「大正自由主義教育」「児童中心主義」の教育
倉橋惣三,手塚岸衛,木下竹次
私立学校における自由とその限界
中村春二の成蹊小学校
沢柳政太郎の成城小学校
赤井米吉等の明星小学校
大正13年 児童の村小学校 野村芳兵衛
自由主義教育のうち当たった壁
→ 羽仁進 と きだ・みのる のみ
今回は、3月12日に続いて武光誠さんの
「渡来人とは何者か」4回目の紹介です。
ぼんやりとしていた、わたしの「渡来人」像がはっきりしてきました。
出版社の案内には、
「東漢(やまとのあや)氏、秦氏、自称『渡来人』の豪族たち…。彼ら
の素性、渡来時期ヤマト政権下の足跡とは?近年のDNA解析の成果
もふまえ、誤解に満ちた虚像と意外な実像を追う。著者の武光誠氏
は、『神道』『仏教』『日本神話』『陰陽道』など、現代の日本人の精神
に深くかかわる思想や信仰を、わかりやすく解説することで定評があ
り、数多くの本を世に送り出してきました。
本書では、『渡来人』の科学的新事実から、その後の足取りをつぶさ
に追っていくことで、日本人と『渡来人』が日本文化に与えた影響を
捉えなおします。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「紀元前800年あたりまでの朝鮮半島南端の文化は、縄文時代の日本
の文化と極めて近かった。現在の日本文化は縄文時代の上につくら
れた」
・「縄文文化は、高度な精神性、技術力、芸術性をもちながらも、人間
平等の発想が守られた文化である。また、自然物にまつわる神を祀
る精霊崇拝(アニミズム、多神教)に立つ独自文化であり、新たな文
化をつくる意欲を持続させ、独自の文化を発展させた珍しい例とい
うことができる」
・「20年ほど前、弥生時代開始期が紀元前 800年頃に改められた。水稲
稲作は、100年近くかけじわじわ九州北部に普及。さらに、それか
ら500年近くかけて水稲稲作が日本に広がていった」
もう一つ、再掲載になりますが、上笙一郎さんの
「日本子育て物語-育児の社会史」⑪を載せます。
原始から現代まで、子育てがどのように行われてきたのか、
大まかに知ることができました。
☆「渡来人とは何者か」武光誠 河出書房新社 2024年 ④

◇「渡来人」の時代以前の中国、朝鮮半島、日本 (2)
□日本に来た「韓族」はどんな人たちか
韓族
‥ 中国人、モンゴル人などの新モンゴロイド(中国系民族)が原
アジア人から進化する前に朝鮮半島に南下していた人々
= 縄文時代の日本人と同じ原アジア人で、朝鮮族とは異なる文
化をもつ人々であった
だから、紀元前800年あたりまでの朝鮮半島南端の文化は、
縄文時代の日本の文化と極めて近かった。
紀元前800年頃
水稲稲作の技術が江南から九州北部と朝鮮半島南端にほぼ同時
期に伝わった
これにより、日本人、韓族の居住地に江南風の稲作文化が急速
に広まった
朝鮮北部
麦の畑作(麦(ばく)作(さく))
2,3世紀、馬韓、辰韓、弁辰3地域 多くの小国が分立
4世紀半ば小さいながらも独立した国を韓の地で
百済 新羅
南端の加耶は小国分立
◎日本と加耶の間の人の往来がさかんになる
◎ 現在の日本文化は縄文時代の上につくられた
□独特の個性をもつ縄文文化
高度な精神性、技術力、芸術性をもちながらも、人間平等の発想が
守られた文化
多様な土器、木器、石器、骨角器、皮革製品
漆やアスファルトも用いられた
林(クリ、シイ、トチ、ドングリ)
植林によって雑穀を栽培した
縄文集落
ほぼ同じ大きさの住居と1棟の大型建物(祭祀)
階級、身分の発想はない
自然物にまつわる神を祀る精霊崇拝(アニミズム、多神教)に立つ独
自文化
新たな文化をつくる意欲を持続させ、独自の文化を発展させた
珍しい例
□縄文人のDNAをめぐる謎
40年ほど前の有力な説
「弥生時代の開始時に、朝鮮半島から稲作技術をもった移住者が
大量に日本に渡ってきて、縄文人と混血して弥生時代の日本人
となった」
しかし、20年ほど前、弥生時代開始期が、紀元前200年ごろを紀
元前 800年頃に改められた。水稲稲作は、九州北部が一気にではな
く、100年近くかけじわじわ九州北部に普及。さらに、それから500
年近くかけて水稲稲作が日本に広がていったことになる。
☆「日本子育て物語-育児の社会史」 上笙一郎 筑摩書房 1991年 ⑪【再掲載 2017.3】
[出版社の案内]
原始時代から現代まで ― 子どもの歴史と子育ての歩みを
豊かな資料を引きつつ興味深く語り、日本人の育児の知恵
と子どもへの深い思いを明らかにする。

≪近代≫②
◇ボーイスカウトとスポーツ - 子供集団と遊びの近代化
□村の子供組の弱体化
小学校長が子供組の弾圧解体
→ ボーイスカウトの登場
□ボーイスカウト運動
英国軍人
バーデン・パウエル
戦争から発生
- 軍隊に倣ったものが多い
・ヒットラー・ユーゲント
・大日本青少年団
1908年 ボーイスカウト
1921年 大日本青少年連盟<少年団>
① 地域に囚われぬ
② 自由参加
③ 規約がある
④ 大人のリーダーシップ
□遊びの主流は近代スポーツへ
和楽 から スポーツへ
童歌遊び から 近代的競技へ
「偶然性」 から 「主体的努力」
□「おもちゃ」の商品化・金属化・動力化
競争原理
◇麻疹疱瘡怖からず - 近代小児医学
「命さだめ」「器量さだめ」
「はしか」と「疱瘡」
1862年 江戸市中 麻疹死亡者 267844人
精霊神・神祭で我が子を守る
子供を解放した近代小児医学
ドイツ系小児医学
科学の大鉈が切り捨てたもの
生活に即した子育て法
◇「洟ったらし」の克服へ
「洟ったらし」は子供の代名詞
非衛生的
汚い子供ときれいな子供との分かれ目
イザベラ・バード 『日本奥地紀行』
経済的に豊かか否か
呪術迷信から社会衛生的な手だてへ
病人目・寝小便小僧をなくす道
地域社会と学校施設の双方における衛生政策
◇わが子を学校に通わせぬ親たち - 自由主義教育の試み
新しい子育て観を持った親の登場
「大正自由主義教育」「児童中心主義」の教育
倉橋惣三,手塚岸衛,木下竹次
私立学校における自由とその限界
中村春二の成蹊小学校
沢柳政太郎の成城小学校
赤井米吉等の明星小学校
大正13年 児童の村小学校 野村芳兵衛
自由主義教育のうち当たった壁
→ 羽仁進 と きだ・みのる のみ
この記事へのコメント
そのような知識人を指して渡来人と呼ぶのだと、恥ずかしながら、わたしは誤解していました。
そのような知識人を指して渡来人と呼ぶのだと、恥ずかしながら、わたしは誤解していました。
弥生系だなとか縄文系だなと、失礼ながら外見で思ってしまうことがあります。弥生系と渡来人系の違いは?とも思いますが、よく考えると、混血が進んでいるのですね。
nice!の押し逃げで申し訳ないですが!!。
古代の遺跡、住居跡を見ると、生活は不便だったかもしれないけれど、ストレスはなかったろうなと想像します。
拝読させて頂きました。
nice!です。
今につながっているだろうかと考えると楽しいですね。
今日も来ましたよ♪
縄文時代も好きです。
縄文と聞くと山崎三四造さん、苅谷俊介さんの顔を思い出します。
技術者も多いけれども、一般の人がそれ以上に多いということかとわたしは思います。
読んでみようと思います。
>
初めて知ったのは地名の本手でしたが、「大人のための修学旅行」シリーズでも楽しませていただきました。古代の中国、朝鮮半島のことをおもしろく知ることができました。