「渡来人とは何者か」武光誠 河出書房新社 2024年 ⑤ /「新聞を作ってみよう」古舘綾子 童心社 2013年【再掲載 2018.1】
今日は3月19日、水曜日です。
今回は、3月16日に続いて武光誠さんの
「渡来人とは何者か」5回目の紹介です。
日本と朝鮮、中国のかかわりを知ることができました。
出版社の案内には、
「東漢(やまとのあや)氏、秦氏、自称『渡来人』の豪族たち…。彼ら
の素性、渡来時期ヤマト政権下の足跡とは?近年のDNA解析の成果
もふまえ、誤解に満ちた虚像と意外な実像を追う。著者の武光誠氏
は、『神道』『仏教』『日本神話』『陰陽道』など、現代の日本人の精神
に深くかかわる思想や信仰を、わかりやすく解説することで定評があ
り、数多くの本を世に送り出してきました。
本書では、『渡来人』の科学的新事実から、その後の足取りをつぶさ
に追っていくことで、日本人と『渡来人』が日本文化に与えた影響を
捉えなおします。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「多雨で暖かな照葉樹林文化地域から稲作が始まった。クズやワラビ
の根を砕いて水に濡らして澱粉をとる技術や餅米をつくる習俗は照
葉樹林帯特有のもの」
・「朝鮮半島に、前漢の武帝以後、紀元前108~313年の400年間に多く
の中国人が入り、中国の進んだ文化がひろめられた」
・「倭が中国の植民地楽浪郡から前2世紀日本に交易に来て住み着いた
江南の航海民が日本に航海術を伝えたことをきっかけに、日本に人
口数百人から 2000人程度の小国が広がった」
もう一つ、再掲載になりますが、古舘綾子さんの
「新聞を作ってみよう」を載せます。
今でも小学校4年国語科に新聞づくりの単元があります。
☆「渡来人とは何者か」武光誠 河出書房新社 2024年 ⑤

◇「渡来人」の時代以前の中国、朝鮮半島、日本 (3)
□弥生文化は江南から韓や倭に伝わった
原アジア人がつくった照葉樹林文化
多雨、暖かい地域から稲作
→ 照葉樹林文化
クズやワラビの根を砕いて水に濡らして澱粉をとる技
術や餅米をつくる習俗は照葉樹林帯特有のもの
江南、朝鮮半島南部、日本をつなぐ線
紀元前800年頃から水稲稲作が朝鮮半島南端と日本に広まった
最初 川沿いの低湿地 → 森林開発して水田
朝鮮
- 照葉樹林帯は島海峡側のごくわずか
- 半島の北半分は冷帯-麦
□400年も中国の植民地だった朝鮮半島北・中部
朝鮮半島
北部を征服した前漢の武帝 紀元前108~313年
400年間に多くの中国人が入った
→ 中国の進んだ文化がひろめられた
中国支配の中心部・楽浪郡の繁栄と滅亡
□中国の植民地楽浪郡から先進文化を学んだ日本
弥生時代前期と中期を分けるもの
倭が楽浪郡と貿易
前2世紀
日本に交易に来て住み着いた江南の航海民が日本に航海術を
伝えたことをきっかけに日本に人口数百人から 2000人程度の
小国が広がった
前期
- 人口200人ぐらいの村をつくり農業
☆「新聞を作ってみよう」古舘綾子 童心社 2013年【再掲載 2018.1】
[出版社の案内]
自分たちで新聞を作る時に、どう取材するのか? どう資料を集めるの
か? など、具体的に学べます。

◇新聞づくりのラッキー7
1 自分たちの意見を知ってもらえる
2 読者がいる
3 直接感想を聞くことができる
4 チームワークがよくなる
5 自分の考えを分かりやすく伝えられるようになる
6 作文がうまくなる
7 褒められる
◇学校の新聞
学校新聞 学級新聞 学習新聞
壁新聞と印刷配付新聞
制作の流れ
① 編集会議 テーマ
② 割付
③ テーマの取材
資料集め・インタビュー
④ 次の編集会議
記事は4~5個
⑤ 記事を書くには
見出し・本文・イラスト(写真)・グラフ
⑥ 校正
⑦ 清書
鉛筆書き → マジック
⑧ 校正
⑨ 発行・配付
⑩ 新聞発行会
今回は、3月16日に続いて武光誠さんの
「渡来人とは何者か」5回目の紹介です。
日本と朝鮮、中国のかかわりを知ることができました。
出版社の案内には、
「東漢(やまとのあや)氏、秦氏、自称『渡来人』の豪族たち…。彼ら
の素性、渡来時期ヤマト政権下の足跡とは?近年のDNA解析の成果
もふまえ、誤解に満ちた虚像と意外な実像を追う。著者の武光誠氏
は、『神道』『仏教』『日本神話』『陰陽道』など、現代の日本人の精神
に深くかかわる思想や信仰を、わかりやすく解説することで定評があ
り、数多くの本を世に送り出してきました。
本書では、『渡来人』の科学的新事実から、その後の足取りをつぶさ
に追っていくことで、日本人と『渡来人』が日本文化に与えた影響を
捉えなおします。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「多雨で暖かな照葉樹林文化地域から稲作が始まった。クズやワラビ
の根を砕いて水に濡らして澱粉をとる技術や餅米をつくる習俗は照
葉樹林帯特有のもの」
・「朝鮮半島に、前漢の武帝以後、紀元前108~313年の400年間に多く
の中国人が入り、中国の進んだ文化がひろめられた」
・「倭が中国の植民地楽浪郡から前2世紀日本に交易に来て住み着いた
江南の航海民が日本に航海術を伝えたことをきっかけに、日本に人
口数百人から 2000人程度の小国が広がった」
もう一つ、再掲載になりますが、古舘綾子さんの
「新聞を作ってみよう」を載せます。
今でも小学校4年国語科に新聞づくりの単元があります。
☆「渡来人とは何者か」武光誠 河出書房新社 2024年 ⑤

◇「渡来人」の時代以前の中国、朝鮮半島、日本 (3)
□弥生文化は江南から韓や倭に伝わった
原アジア人がつくった照葉樹林文化
多雨、暖かい地域から稲作
→ 照葉樹林文化
クズやワラビの根を砕いて水に濡らして澱粉をとる技
術や餅米をつくる習俗は照葉樹林帯特有のもの
江南、朝鮮半島南部、日本をつなぐ線
紀元前800年頃から水稲稲作が朝鮮半島南端と日本に広まった
最初 川沿いの低湿地 → 森林開発して水田
朝鮮
- 照葉樹林帯は島海峡側のごくわずか
- 半島の北半分は冷帯-麦
□400年も中国の植民地だった朝鮮半島北・中部
朝鮮半島
北部を征服した前漢の武帝 紀元前108~313年
400年間に多くの中国人が入った
→ 中国の進んだ文化がひろめられた
中国支配の中心部・楽浪郡の繁栄と滅亡
□中国の植民地楽浪郡から先進文化を学んだ日本
弥生時代前期と中期を分けるもの
倭が楽浪郡と貿易
前2世紀
日本に交易に来て住み着いた江南の航海民が日本に航海術を
伝えたことをきっかけに日本に人口数百人から 2000人程度の
小国が広がった
前期
- 人口200人ぐらいの村をつくり農業
☆「新聞を作ってみよう」古舘綾子 童心社 2013年【再掲載 2018.1】
[出版社の案内]
自分たちで新聞を作る時に、どう取材するのか? どう資料を集めるの
か? など、具体的に学べます。

◇新聞づくりのラッキー7
1 自分たちの意見を知ってもらえる
2 読者がいる
3 直接感想を聞くことができる
4 チームワークがよくなる
5 自分の考えを分かりやすく伝えられるようになる
6 作文がうまくなる
7 褒められる
◇学校の新聞
学校新聞 学級新聞 学習新聞
壁新聞と印刷配付新聞
制作の流れ
① 編集会議 テーマ
② 割付
③ テーマの取材
資料集め・インタビュー
④ 次の編集会議
記事は4~5個
⑤ 記事を書くには
見出し・本文・イラスト(写真)・グラフ
⑥ 校正
⑦ 清書
鉛筆書き → マジック
⑧ 校正
⑨ 発行・配付
⑩ 新聞発行会
この記事へのコメント
朝鮮半島から追われた人が移ってきた様子が想像できました。
した人が居たので会話を続けていたら,ワタシ・日本人と違うのって
観光できた、C国?K国?の人見分けがつかなく近親感もほんのり一時でした。。
アジアの北東の国だけ合って、日本人と見分けがつかないことが多いですね。日本語が上手で、話していても分からないときもあります。
平針、年に数回、ドラゴンズの応援に行くとき通ります。
まだ、手探り状態ですが、SSブログ時代のように早く使えるようにしたいと考えています。
NICEです。
Seesaaでもよろしくお願いいたします。
鉄の生産や、陶器のことも含めていろいろな文化が渡って来ました。
葛餅はおいしいですね。照葉樹林文化のものということですが、他の国でも同じようなものを食べているのかと想像してしまいます。
深い関係があるだけに、よい関係になってほしいです。
南から北からと大陸からいろいろなものが伝えられたのですね。
nice!の押し逃げで申し訳ないですが・・・。
お彼岸に成ったと言うのに天候が不順・今日も霜で、辺り一面真っ白です!!。
春爛漫は、程遠いですね・今日は、彼岸の中日・日増しに暖かく成るのを願うが・・・。
我が町は、彼岸の中日だと言うのに天候が不順・霜化粧で、辺り一面真っ白に・・・其方は、如何でしょうか!!。
春爛漫は、程遠いですね・三寒四温で、日増しに暖かく成る筈の時期だというのに此の異常気象・何時まで続くのですかね(>¡<”・・・。
日当たりのよいところは、ぽかぽかとあたたかくて、つい、うとうとしてしまいます。