「講談師になるには」 田辺一邑 『紙つぶて』③ 中日新聞コラム欄 /「土のいろ」集成 第八巻 75~83号 1981年 ①(前半)【再掲載 2017.3】

今日は3月21日、金曜日です。


今回は、14日に続いて、浜松出身の講談師 田辺一邑さんの
「講談師になるには」(中日新聞コラム欄より)を載せます。


田辺一邑さんの真打ち昇進をきっかけに講談が好きになりました。


講談の皆さんが、どのようにして講談師になったのか興味がありま
す。



もう一つ、再掲載になりますが、浜松つながりで、
「土のいろ」集成第八巻(75~83号)①を載せます。
「土のいろ集成」とは、静岡県遠州地方の郷土土俗雑誌「土のいろ」
の大正13年の創刊から昭和43年の終刊までを復刻集成したもので
す。

富田準作さんの「農業俚諺抄」を読み、子どもの頃の父母を思い出し
ました。
昔から伝えられた農業のことわざですが、父母の姿、言動にそれが表
れていました。
また、徳川期のものは考えさせられました。
わたしにも俚諺がしみついているのか、農作業から逃れられません。
辛いときもありますが、そんな自分が好きです。
「おほみたから」と表されたという百姓。
そう思う人は少なくなっているのではないかと寂しく思います。









☆「講談師になるには」 田辺一邑 『紙つぶて』③ 中日新聞コラム欄


「システムエンジニアからどうして講談師に?」


 よく聞かれます。


 きっかけは講談会ご招待の新聞記事。


 会社を辞め失業保険で生活していた当時、何げなく応募すると…当
たったんです。


 お江戸日本橋亭でした。


 それが講談を聞いた最初で、昔から好きだったわけではありません。

 その時思った!


 「これが私の天職だわ」ではなく「これならにもできるかもしれな
いな」。


 さあ、それからどうしたか。まずは図書館に行きました。


「講談師になるには」という本はありません。


 代わりに借りたのが「落語家になるには」。


 読みますと、「なるほど、弟子入りしなくちゃいけないんだ」。


 そこで今度は師匠を決めるためしばらく寄席通いをしました。


 あれこれと悩んだあげくこの人と定め、あとは実行あるのみ。


 今日こそは今日こそはと思いつつ何度もくじけ、ついに決行!した
のですがあえなく失敗。


 今思えばあまりにぶしつけだったと反省いたしております。


 ところがどっこい、縁あって田辺一鶴に入門かない、こうして今に
至っているわけですから、やはり天職だということでしょうか。


 月日に関守なく光陰矢のごとし。


 あれから15年、くしくも私は一鶴のもとで真打ちになった最後の
弟子となりました。


 そして昨年、没後預かった凌鶴を無事真打ちに昇進させることがで
き、ちょっぴり恩返しができたかなと思っています。


 今年は芸に専念しよう。あっでも、このコラムが…。
                     (講談師=浜松市出身)
               2013.1.15 中日新聞夕刊







☆「土のいろ」集成 第八巻 75~83号 1981年 ①(前半)【再掲載 2017.3】

1.jpg

◇月報8

□宿神譚と南島 福田晃  
  中道朔爾「漂着した御神体」


□日本の茶 もう一つの流れ 中村羊一郎
  もむ茶(庶民の茶=煎茶) と もまない茶(抹茶)


□土のいろ校訂余録8  続白洲人形 佐藤彰



◇第15巻第1号 通刊75号 昭和13年3月
  
□放送  遠江文化史講座 


□遠江の画家 中道朔爾
福田半家(見付) 平井顕斎(榛原郡川崎) 永村茜山(崋山門下十哲)


□独湛禅師と初山文芸 近藤用一
帰化僧
    隠元禅師の伝導布教
四大禅師 
    隠元,木庵,即非,独湛
→ 詩文・書画堂・茶道・彫刻,建築
独湛  
    隠元禅師と共に来朝
     → 摂州富田の普門寺
→ 引佐郡中川村瀬戸初山宝林寺 「安心法語」


□遠州報告隊の精神運動  深谷芳太郎
参加者 
    神職が多い - 国学の思想
国学
   - 百姓一揆と同様,当時の道徳・学問に反抗して起こったも
    の
元禄期
    下河辺長流 契沖
      二条家等の歌についての秘事口伝を批判
享保・寛政期
    賀茂真淵,本居宣長
     学問の自由研究 → 儒教・仏教との対立
    「ひたぶるに直き心」「古道」の解明
  天保期
    平田篤胤 学問から実践へ
古道が「日本中心主義」に,熱烈な祖国愛
   → 明治維新の原動力に


□遠江に於ける国学
浜松諏訪神社 杉浦国頭 
    国学・尽敬会
    弟子 賀茂真淵
弟子 栗田土満・内山真龍
門下 小田重年・石塚龍磨,高林方朗
 文化文政期
    国学研究会
  天保期
    国学研究会  100以上に
     → 精神が実を結んだものが「報国隊」


□報国隊の精神 
元治期 
    高林方朗の弟子 有賀豊秋(有玉)中心に国学研究会
    時事,勤皇を論じる
     → 鳥羽伏見の戦の報国 官軍に参加
         300余命の同士 「報国隊」
大村益次郎 靖国神社
   上野山で戊辰の役に殉じた忠魂を祀る招霊魂社


□遠州の和算家について   塚本五郎
天元術
   - 関孝和によって点さん術(台数)と円理(積分)が発明
  和算 
   = 徳川時代の算法 算木と算盤
測量方面 
    慶長12年 京都・吉田光好が 家康の命で天龍川の船路
     - 天龍川の河幅を広め、水道を深くして船筏の航行を容
      易にした
 明治半ば
    北庄内村白州堀野権吉が天龍川を2か月測量
    中の町の丸一運送店に頼まれて
嘉永5年
    金指町の渡辺兵治 遠州地図を初めて発行
道路・田畑等の測量
    見題免許(和算、測量の免許?=ハマコウ註)
      十人のみ 
      藤川春龍・青木新六・原田田兵衛 優れる


□井ノ田川掘り割りと井上延陵翁 渥美静一


□昭和12年11月6日 
  JODC浜松放送局ローカルとして放送 



◇第15巻第2号 通刊76号 昭和13年6月
  
□農業俚諺抄   富田準作 
「農は国の本」  『日本書紀』百姓を「おほみたから」と
  「稲は五穀の王」 
  「粒々辛苦」
  「米一粒汗一粒」
  「粟一粒は汗一粒」
  「五穀は民の汗」  
「一粒万倍」
  「百姓百層倍」
「肥料よりも鍬」
  「主人の足跡は麦の肥料」
  「田畑の足跡は主人の足跡より善きはなし」
「麦と舅は踏むが善い」
  「麦は百日の播期に三日の刈旬」
  「朝起きは三文の徳」
「彼岸過ぎて麦の肥」
  「秋日和半作」
  「秋場半作」  秋の天候が年の豊凶に作用
「茄子は友露受けねば千なる」
 「小豆は友の露嫌う」  間隔
「牛蒡は同じ土地に二年つらぬく者は馬鹿」
「生姜は田植え歌聞いて芽を出す」
  「穀を粗末にすると目が潰れる」
「穀を粗末にすると病にかかる」
「十一月二十日大根畠に入ってはならぬ」
  「七月七日畠に入ってはならぬ」
「二月の白畠,三月の降り麦」 二月の雪三月の雨は麦によい
 「雨栗日柿」
  「金柑と橙は西風を嫌う」
  「梨尻柿頭」  味のよき所
「渋柿の核沢山」
  「貧乏柿の核沢山」
  「桃栗三年柿八年柚は九年で花盛り梅はすいとて十三年」
「雪は豊年の瑞」
  「雪は豊年のためし」
  「雪は豊年の貢ぎ物」
  「とよの雪」
「秋の稲妻千石増す」
  「桜伐る馬鹿,梅伐らぬ馬鹿」  梅は年々枝をはらうがよい
「命あっての物種,畑あっての芋だね」
「木七・竹八・塀十郎」
     木は七月竹は八月に伐るがよく、
     土塀は十月にぬるがよい
  「十月の投げ木」  
     落葉後に移植すれば粗末に植えてもよく生育する
 「二月の投げ松」
「秋なす嫁に食わすな」
     ①うまいから
     ②ネズミの異名「嫁が君」
  ③種子がないから  ネズミに食わすな
「西瓜喰うままに居れず」 
    = 衣替えの準備を要すること
「牛を馬に乗り換える」
  「牛売って馬買う」
  「牛に経文」
「金秋のさい(修繕)と昼飯は早い方がよい」
「昼は茅刈れ,夜は縄なえ」
「彼岸太郎・八専二郎・土用三郎・寒四郎」

 
 徳川期
  「茶と百姓は絞るほど出る」
  「手ぬぐいと百姓は絞るほど出る」
「百姓と灰俵は叩くほど出る」
  「百姓は油の如く絞るほど出る」
「土一升米一升」
  

□富塚村の水車  浜松産業史の一 中村精
  水車 
    ① 精米・麦 
    ② 製油
    ③ 製粉
    ④ 製綿・紡績
  種類 
    ・流し車 ・押し車 ・屋根車(落差)
盛衰の原因 地理的好条件
  盛
      ①浜松に隣接 ②佐鳴湖-浜名湖 船便好都合

      ①鉄道開通 ②石油・電力
水力電気事業の計画
浜松電燈合資会社(濱松町竹田寅吉ほか一名) 明治26・27年

この記事へのコメント

ハマコウ
2025年03月21日 06:40
長さんさん niceをありがとうございます。
2025年03月21日 09:15
これならできるかもしれない
そう思えること 一歩前進ですね
侘び助
2025年03月21日 11:05
地方の衰退の一つに交通の便が絶たれる事、NHKのアーカイブ100年を見て
廃村・廃墟の部落に胸つぶれる思いが"(-""-)"
2025年03月21日 14:38
いつもniceをありがとうございました。
ブログの方を移行したので、よろしければ今後ともよろしくお願いします。
2025年03月21日 14:50
お邪魔しました
2025年03月21日 15:52
Nice!です。
2025年03月21日 16:20
読みました
2025年03月21日 17:41
ナイス!
侘び助
2025年03月21日 18:12
拝読しました。
2025年03月21日 19:26
(# ̄  ̄)σ・・・Nice‼です♪
2025年03月21日 21:32
講談は、面白いですよね。
ハマコウ
2025年03月21日 22:09
西湘の風さん 来訪ありがとうございます。
ハマコウ
2025年03月21日 22:10
ゆうみさん ありがとうございます。
出会いは不思議なものだと感じます。
ハマコウ
2025年03月21日 22:17
侘び助さん ありがとうございます。
30年前近くのバス停から浜松駅行きは1時間に4便だったのが、2便となり、今は1便。都会とは違い、免許返納の話題がきつく感じます。
ハマコウ
2025年03月21日 22:17
とし@黒猫さん NICEをありがとうございます。
ハマコウ
2025年03月21日 22:18
ミィさん niceをありがとうございます。
ブログ移行されたのですね。これからもよろしくお願いします。
ハマコウ
2025年03月21日 22:18
くまらさん 来訪ありがとうございます。
ハマコウ
2025年03月21日 22:19
hagemaizoさん Niceをありがとうございます。
ハマコウ
2025年03月21日 22:19
hagemaizoさん Niceをありがとうございます。
ハマコウ
2025年03月21日 22:19
ffmlさん 来訪ありがとうございます。
ハマコウ
2025年03月21日 22:19
りっとん2さん ナイスをありがとうございます。
ハマコウ
2025年03月21日 22:20
Mitchさん ナイスをありがとうございます。
ハマコウ
2025年03月21日 22:21
ヨッシーパパさん niceをありがとうございます。
ハマコウ
2025年03月21日 22:21
侘び助さん 来訪ありがとうございます。
ハマコウ
2025年03月21日 22:21
侘び助さん 来訪ありがとうございます。
ハマコウ
2025年03月21日 22:24
てんてんさん Niceをありがとうございます。
ハマコウ
2025年03月21日 22:25
八犬伝さん ありがとうございます。
一邑さんの真打ち昇進を機会に講談を時々聞くようになり、好きになりました。
2025年03月22日 00:10
子供の頃、ラジオから流れる講談を聞いた記憶がありますが、近年は全く聞いてませんね。伝統芸能の域ですね。
2025年03月22日 00:33
nice!です。
2025年03月22日 00:54
関孝和と言えば算額のイメージです
2025年03月22日 00:58
niceです☆彡
ハマコウ
2025年03月22日 06:27
たいちさん ありがとうございます。
伝統芸能ですね。ラジオ深夜便でときどき聞きます。また、地域の歴史イベントなどで講師として呼ばれることが多いようです。楽しむ人が増えるとうれしいです。
ハマコウ
2025年03月22日 06:27
浅葱さん niceをありがとうございます。
ハマコウ
2025年03月22日 06:29
mauさん ありがとうございます。
関孝和の登場により江戸時代には和算がさかんだったようです。
ハマコウ
2025年03月22日 06:29
フヂさん niceをありがとうございます。