「むなしさの味わい方」きたやまおさむ 岩波書店 2024年 ④ / 東井義雄さんの言葉 36-「どの子も必ず救われる 私の家庭教育論」 東井義雄 明治図書 1983年 ③【再掲載 2017.6】
今日は5月9日、金曜日です。
今回は、5月6日に続いて、きたやまおさむさんの
「むなしさの味わい方」の紹介 4回目です。
出版社の案内には、
「自分の人生に意味はあるのか、自分に存在価値はあるのか…。
誰にでも訪れる『むなしさ』。便利さや快適さを追求する現
代では、その感覚は無駄とされてしまう。しかし、ため息を
つきながらも、それを味わうことができれば、心はもっと豊
かになるかもしれない。『心の空洞』の正体を探り、それと
ともにどう生きるかを考える。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「間は魔になりやすい」
・「『まっ、いいか』とため息をつく」
もう一つ、再掲載になりますが、東井義雄さんの
「どの子も必ず救われる 私の家庭教育論」③を載せます。
最も基本となるのは家庭教育にあることがわかりました。
☆「むなしさの味わい方」きたやまおさむ 岩波書店 2024年 ④

◇間は簡単には埋まらない - 幻滅という体験
相手に対する幻滅の個人差
「むなしさとどう付き合うか」
言葉に対する「幻滅」
「幻滅」と「脱錯覚」
移行対象の橋渡し
喪失の三段階
人の二面性への気づき
人
- 表と裏の二面性
「喪失1.5」が蔓延する現代
自力でなくても
「間」
~ 生まれる心配、懸念、悩み
※ 間は魔になりやすい
心の中の悪魔
フロイト「死の欲動論」悪い予感が次々に
‥ 不幸を求める本能か?
わたしたちは移行期の「間」に耐えるのが苦手であること、そ
して「間」は容易 に「魔」になってしまう
◇「むなしさ」はすまない - 白黒思考と「心の沼」(1)
急激な幻滅の訪れ
神話、昔話に見る幻滅と破局
「伊弉諾伊弉冉神話」
1000人殺す - 1500人を生もう
「汚い国」 - 禊ぎ 殯
「夕鶴」献身のために傷つく
-「見てはいけない」禁止を破ることにより悲劇
「見るなの禁止」
幻滅の後も人生は続く - 時間を掛けるときの意味
急な幻滅 - 悲劇的展開
← 時間を掛けて別のストーリーにできたはず
待つこと、「闇」に立ち続けること
二面性を受け入れる
二面性を受け入れながら認識を深めて生きる
吐き出してすっきりしたいが
モヤモヤ イライラ
心をごみで埋めようとする
「排出」は心の健康のために大事な心の営みでカルタシス(浄化)の
効果あり
→ 吐き出すと「問」
ロクでもないものを吸い込み心の空間をごみで埋めてしまう
モヤモヤは心の「ため池」においておく
未消化物を置いておく心の中の場所が本来はあるはず
そのままおいておく
時間を掛ける ~ 心の余裕
ため息をついても幸せは逃げない
「まっ、いいか」とため息をつく
☆東井義雄さんの言葉 36-「どの子も必ず救われる 私の家庭教育論」 東井義雄 明治図書 1983年 ③【再掲載 2017.6】
<家庭の回復>
◇夫と妻・父と母
大人が病んでいるから子供が病む
人間が人間に育つためには母の胸に抱かれて乳をもらうことも
大切な条件
- 大人の狂ったあり方が狂った子供を育てている
「下農は雑草をつくり、上農は土をつくる」
永井道雄元文相の母
「自分の利益のみ考えた行動を悪というが、万人の利益を考えた
行動を善という」
中村白葉
「事実は絶対である。その重さは比較を絶する。」
男があり女があるという事実の重さを狂わせている言葉がある
家庭というところ
「家庭は人生の道場だ」
家庭はきれいごとのできるところではない。
しかし、きれいごとのできないままやはり絶えず光を求めて
生き合うところが「家庭」であるのではないか。
永井元文相母堂
「神なき知育はさかしらな悪魔を育てる」
家庭とはきれいごとのできるところではない。
しかし、その中に人間の生き方が求められなければならない。
荒れの中にあっても
人間の生き方
◇家族としての老人
人間を大切にし合う家庭
禅僧
「座禅の修行が難しいというが、家庭の中で、家族が互いに人間
を大切にし合うことはもっともっと難しい修行だ。しかし、そ
の難しい修行の中で人間は育っていくのだ。家庭はその道場だ。」
人間の心を育てる家庭
近頃この苗床の荒れがひどくなってきている。冷たくやせたも
のになってきている。
庄ちゃんの日記 庄ちゃんのあたたかい人柄
「一人の悲しみはみんなで分けて悲しみ、一人の喜びはみんなで
大きくして喜び合う家庭」
老人もそのあり方を
味方のいない孤独な存在
真実を皆で話し合える家庭に
おじいちゃんと孫
松田道雄『在野の思想家たち』(岩波書店) NHK『孫の教育』
叱られる子と共に辛さを分かち合いながらともに我慢
親鸞
「親鸞は弟子一人も持たずに候」
おばあちゃんと孫
育て合い活かし合いの家庭
鈴木道太『叱ってよい時悪い時』(明治図書)
今回は、5月6日に続いて、きたやまおさむさんの
「むなしさの味わい方」の紹介 4回目です。
出版社の案内には、
「自分の人生に意味はあるのか、自分に存在価値はあるのか…。
誰にでも訪れる『むなしさ』。便利さや快適さを追求する現
代では、その感覚は無駄とされてしまう。しかし、ため息を
つきながらも、それを味わうことができれば、心はもっと豊
かになるかもしれない。『心の空洞』の正体を探り、それと
ともにどう生きるかを考える。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「間は魔になりやすい」
・「『まっ、いいか』とため息をつく」
もう一つ、再掲載になりますが、東井義雄さんの
「どの子も必ず救われる 私の家庭教育論」③を載せます。
最も基本となるのは家庭教育にあることがわかりました。
☆「むなしさの味わい方」きたやまおさむ 岩波書店 2024年 ④

◇間は簡単には埋まらない - 幻滅という体験
相手に対する幻滅の個人差
「むなしさとどう付き合うか」
言葉に対する「幻滅」
「幻滅」と「脱錯覚」
移行対象の橋渡し
喪失の三段階
人の二面性への気づき
人
- 表と裏の二面性
「喪失1.5」が蔓延する現代
自力でなくても
「間」
~ 生まれる心配、懸念、悩み
※ 間は魔になりやすい
心の中の悪魔
フロイト「死の欲動論」悪い予感が次々に
‥ 不幸を求める本能か?
わたしたちは移行期の「間」に耐えるのが苦手であること、そ
して「間」は容易 に「魔」になってしまう
◇「むなしさ」はすまない - 白黒思考と「心の沼」(1)
急激な幻滅の訪れ
神話、昔話に見る幻滅と破局
「伊弉諾伊弉冉神話」
1000人殺す - 1500人を生もう
「汚い国」 - 禊ぎ 殯
「夕鶴」献身のために傷つく
-「見てはいけない」禁止を破ることにより悲劇
「見るなの禁止」
幻滅の後も人生は続く - 時間を掛けるときの意味
急な幻滅 - 悲劇的展開
← 時間を掛けて別のストーリーにできたはず
待つこと、「闇」に立ち続けること
二面性を受け入れる
二面性を受け入れながら認識を深めて生きる
吐き出してすっきりしたいが
モヤモヤ イライラ
心をごみで埋めようとする
「排出」は心の健康のために大事な心の営みでカルタシス(浄化)の
効果あり
→ 吐き出すと「問」
ロクでもないものを吸い込み心の空間をごみで埋めてしまう
モヤモヤは心の「ため池」においておく
未消化物を置いておく心の中の場所が本来はあるはず
そのままおいておく
時間を掛ける ~ 心の余裕
ため息をついても幸せは逃げない
「まっ、いいか」とため息をつく
☆東井義雄さんの言葉 36-「どの子も必ず救われる 私の家庭教育論」 東井義雄 明治図書 1983年 ③【再掲載 2017.6】
<家庭の回復>
◇夫と妻・父と母
大人が病んでいるから子供が病む
人間が人間に育つためには母の胸に抱かれて乳をもらうことも
大切な条件
- 大人の狂ったあり方が狂った子供を育てている
「下農は雑草をつくり、上農は土をつくる」
永井道雄元文相の母
「自分の利益のみ考えた行動を悪というが、万人の利益を考えた
行動を善という」
中村白葉
「事実は絶対である。その重さは比較を絶する。」
男があり女があるという事実の重さを狂わせている言葉がある
家庭というところ
「家庭は人生の道場だ」
家庭はきれいごとのできるところではない。
しかし、きれいごとのできないままやはり絶えず光を求めて
生き合うところが「家庭」であるのではないか。
永井元文相母堂
「神なき知育はさかしらな悪魔を育てる」
家庭とはきれいごとのできるところではない。
しかし、その中に人間の生き方が求められなければならない。
荒れの中にあっても
人間の生き方
◇家族としての老人
人間を大切にし合う家庭
禅僧
「座禅の修行が難しいというが、家庭の中で、家族が互いに人間
を大切にし合うことはもっともっと難しい修行だ。しかし、そ
の難しい修行の中で人間は育っていくのだ。家庭はその道場だ。」
人間の心を育てる家庭
近頃この苗床の荒れがひどくなってきている。冷たくやせたも
のになってきている。
庄ちゃんの日記 庄ちゃんのあたたかい人柄
「一人の悲しみはみんなで分けて悲しみ、一人の喜びはみんなで
大きくして喜び合う家庭」
老人もそのあり方を
味方のいない孤独な存在
真実を皆で話し合える家庭に
おじいちゃんと孫
松田道雄『在野の思想家たち』(岩波書店) NHK『孫の教育』
叱られる子と共に辛さを分かち合いながらともに我慢
親鸞
「親鸞は弟子一人も持たずに候」
おばあちゃんと孫
育て合い活かし合いの家庭
鈴木道太『叱ってよい時悪い時』(明治図書)
この記事へのコメント
いままで知りませんでした。内容が高度で全部は判りませんでしたが、私
は今の一点についてだけ、人間が改善されました。
考えさせられる言葉がいくつか並んでいました、ナイス!です。
ナイスです♪
自分の要約でも、はっきりとはわからないことがよくあります。他人のものとなったらなおさらだと思います。
やはり本を見るのがいちばんだとよくわかります。
むなしさに少しずつ慣れてきています。
むなしいことは多いのですが、大変うれしいこともたまにあります。たまのうれしさのためにはむなしい思いをしないといけないのかと思っています。