「むなしさの味わい方」きたやまおさむ 岩波書店 2024年 ⑤(最終)/「ありがとう、嘘をついてくれて」 山本ゆう子(大阪 主婦47歳)『クレオ』(出版年不明)より【再掲載 2016.4】

今日は5月12日、月曜日です。


今回は、5月9日に続いて、きたやまおさむさんの
「むなしさの味わい方」の紹介5回目 最終です。




出版社の案内には、


「自分の人生に意味はあるのか、自分に存在価値はあるのか…。
 誰にでも訪れる『むなしさ』。便利さや快適さを追求する現
 代では、その感覚は無駄とされてしまう。しかし、ため息を
 つきながらも、それを味わうことができれば、心はもっと豊
 かになるかもしれない。『心の空洞』の正体を探り、それと
 ともにどう生きるかを考える。」


とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「新興宗教は信者獲得に自責の念をうまく利用しているよう」


・「心の奥には、未処理のものをそのままおいておける『ため池』の
ような『沼』がある」


・「『心の沼』は死を呑み込むと同時に新たな創造の場でもある」



もう一つ、再掲載になりますが、山本ゆう子さんの
「ありがとう、嘘をついてくれて」を載せます。
いろいろなタイプの教員がいることが子どもたちを救うのかもしれませ
ん。



☆「むなしさの味わい方」きたやまおさむ 岩波書店 2024年 ⑤(最終)

1.jpg

◇「むなしさ」はすまない - 白黒思考と「心の沼」(2)

 怒りの内向と自虐
思い通りに行かないとき
    → 怒り
    → 怒りの内向


 「すまない」と「すませたい」
心の不純物 
    ~ 不純、不浄、不満 処理
新興宗教 
     信者獲得に自責の念をうまく利用しているよう
「あなたは罪深い人間である」


 「すまない」はお互い様
    お互いさま
     ~ 未処理のものをそのまま置いておく必要


 心の奥には沼がある
未処理のものをそのままおいておける「ため池」のようなもの
   ため池の奥に「心の沼」
      - 心の腸、心の「腹」
      = 胃腸
         - 置いておける場所


 沼はくさいので蓋を!
〇〇くさい 埋めることはできない


 「心の沼」は澄んではいない
人間くささ 
     どぶ掃除は無理 
     ドロドロ ズブズブ グスグズ グチャグチャ
   心の中でどんな空想を使用と自由 
ひどい残虐な想像をしてしまうのも自分であり、他者に対し
    てよい人のように振る舞っているのも自分
沼はあくまで濁ったものであり、そのまま置いておくしかない


 両生類と沼
乳幼児期は両生類のような状態(水中から陸上へ)
    白黒の二分法で割り切れない泥沼が、実はわたしたちの身近に
   あり続けていることは注目されてよい 


 沼は再生へとつながる死に満ちている
「ザリガニの鳴くところ」2018 2020 
          ディーリア・オーエンズ
   「再生へとつながる死に満ちた」
      心の沼-再生クリエイティブ


 人の心の肥料としてのイザナミ
「心の沼」死を呑み込むと同時に新たな創造の場でもある


 泥がなじむ
  「女の腐ったような奴」から生まれたもの


 女神であるイザナミが教えてくれること
「女の腐ったような奴」‥イザナミ?
天の沼矛(ペニス) - 海原(ヴァギナ) オノゴロ島


 「むなしさ」を味わい、かみしめて
   心の沼はけっして澄むことはない  
   「むなしさ」をスッキリさせることはできない


 母親から学ぶ  
   母親こそ くみとり うけとり
   相談室 心理的なトイレ



◇「むなしさ」を味わう

 「むなしさ」には意味がないかもしれないが、「むなしさ」をかみし
 め味わうことは意味があるかもしれない


 前田重治の心の絵
前田重治「現代の自我構造」の絵


 絵を見ながら連想する
名所案内のような遊び


 無意識と身体
「むなしさ」の下部構造


 両生類的生活か  
   意識と無意識


 そして「ゆ」に身を任せる


 「むなしさ」を感じている「私」という発見


 「むなしさ」から生まれる文化文明


 「むなしさ」とナンセンス  短命の美


 精神分析から見る
  - 口唇期 肛門期 性器期


 性的欲望と「むなしさ」 
   異質な他者との交わり 


 性的な死と生き直し
  「むなしさ」の家族的三角関係を生きる


 あきらめたときに



◇おわりに 悲しみは言葉にならない
  見つからないという真実があるからこそ「探し物」という営みが発
 生する



◇きたやまおさむ
  1946年 淡路島生 2021年より白鳳大学長 








☆「ありがとう、嘘をついてくれて」 山本ゆう子(大阪 主婦47歳)『クレオ』(出版年不明)より【再掲載 2016.4】



 運動場の真ん中から、足元に転がって来たドッジボール。


 拾ってY先生に手渡そうとした瞬間、ボールが地面に叩き付けられ
た。


 何が起こったのかと、きょとんとしているわたしに投げつけられた言
葉。


「何も出来ないのに、余計なことをするな」


 小学校3年の2学期が始まったばかりだった。


 担任の先生が産休をとり、代わりに来たのが若いY先生。


 昼休みにはドッジボールを楽しむ、お兄さんのような先生に、男の子
達は大喜びだ。


 給食を残さず食べないと教室から出てはいけないと言われ、食が細い
わたしは、いつも仲間に入れなかった。


 その日は珍しく皆より一足遅れて、外に出られたのだった。


 先生がわたしの手からはたき落としたボールは、他の子の手に。


 そしてまた別の手に。


 わたしは一人、教室に戻るしかなかった。Y先生に嫌われている。


 のろまで、運動が苦手で、無口で、可愛いくない女の子。仕方がない
と思った。


「この問題のわかる人」


 ハイハイと、元気に手を挙げる同級生達。


「水野」


 うつむいていたわたしが指名された。


 黒板に書いた答えは間違いなく、先生はそれを確かめると、さっと黒
板消しで消した。


「なぜ手を挙げない」


 険しい目を向けたあと先生は、同じ問題に別の子を指名した。


 その頃から、わたしは毎朝頭痛がし給食の前にはおなかが痛くなり…。


 本当だった。決して仮病なんかじゃない。


 だが、Y先生はクラスの皆の前で、そう言った。


 辞書で仮病という文字を見つけた時、わたしは先生をというより、自
分自身を憎んで泣いた。


 なぜ、こんな風に生まれて来たのだろう。


 もっと可愛くて活発ならば良かったのに。


 死んでしまいたい。


 どうしたら死ねるのか。


 今より、情報のずっと少なかった時代の話だ。


 方法が思い浮かばなかった。


 厳しい母に追い出されるようにして学校へ行き、冬が過ぎ、やがて春
になった。


 4年生も、Y先生が担任だったらどうしよう。


 相談相手はいない。


 母はいつも頭ごなしだし、陰気で仮病を使うわたしから、友達は去っ
て行った。


「このクラスを受け持つ森本です」


 四十代だろうか。


 眼鏡をかけた男の先生。


 Y先生ではなかったものの、目の前が真っ暗になった。


 冷たそうな顔。


 きっと、わたしはまた嫌われる。


 給食は、個人差があるのだから残しても良いと言われたのだけが救い
だった。


 でも、もう昼休みに遊べる友達はいないのだ。


 そして五月の家庭訪問。


「うちの子は気がきかないし、勉強もしないし、本当に困った子で」


 いつもの母の言葉。


 はいはいと、うなずいていた森本先生は、一方的な母の話が一段落し
た所で、きっぱりと言った。


「水野さんは、とてもいい子です。お母さんは間違っていますよ。僕は
 水野さんが大好きです」


 嘘つき!ふすまの陰にいたわたしは、心の中でそう叫んだ。


 本当は大嫌いなくせに。


「みんな、水野さんみたいな頑張り屋さんと、友達になれるといいね」


 教壇での先生の言葉だ。何が頑張り屋なものか。わたしは弱虫で、生
きるのが辛くて、何も一生懸命する気が起こらないというのに。


 真面目。

 優しい。

 作文が上手。

 字が丁寧。


 先生は毎日のように、わたしをほめる。


 ネタがなくなると、とにかく良い子だと言う。


 そのせいかわたしの周囲は少しずつ賑やかになって来た。


 離れて行った友達が戻り、新しい同級生とも仲良くなれた。


 気がつくと、いつの間にか自殺願望は消えていた。


 教育の技術。


 先生の本心は、決してわたしを好きではなかったと今でも思う。


 でも、わたしは森本先生が大好きだ。


 嘘をついてまで、かばってくれた先生が。


 わたしだけではない。


 家庭に問題がある子、真面目なのに勉強の出来ない子。


 うまくやれない子を中心に、先生は励まし続けてくれた。


 自分の仕事に情熱を持ち、真剣に取り組んでいる。


 そんな森本先生の姿勢に、心を打たれないはずがない。



 あれから40年近くが過ぎた。


 小学校時代を思い出す時浮かぶのは、わたしを救ってくれた森本先
生の顔。


 森本先生の嘘つき。


 でも、ありがとう。

この記事へのコメント

2025年05月12日 06:13
nice!です。人生、晴れる日も有れば曇りの日も有ると私も
思います。
ハマコウ
2025年05月12日 06:30
長さんさん ありがとうございます。
そうですね。雨の日が続いてもいつか晴れることがありますね。
2025年05月12日 09:34
お邪魔しました
2025年05月12日 10:00
拝見しました
NICEです
(^^)
2025年05月12日 10:33
先生は本当に彼女のことが嫌いだったのかなぁ。
好きじゃなかったかもしれないけど、気にかけていたのは事実ですよね。
でなければ彼女の問題を解決しようとはしないと思います。
2025年05月12日 11:45
niceです☆彡
2025年05月12日 13:32
NICEです👍
2025年05月12日 17:44
ナイス!
2025年05月12日 21:09
niceです♪
森本先生のようになりたいです 笑

またちょくよくお邪魔させて頂きます。
ハマコウ
2025年05月12日 21:43
くまらさん 来訪ありがとうございます。
ハマコウ
2025年05月12日 21:43
kgotoさん NICEをありがとうございます。
ハマコウ
2025年05月12日 21:46
川崎工場長さん ありがとうございます。
どの子にも「わたしはひいきされている」と思わせるようにしたいね、と先輩からよくいわれました。特定の子だけでなくクラス全員に。わたしの場合、どうしてもわざとらしくなっていると自分で思いました。
ハマコウ
2025年05月12日 21:47
とし@黒猫さん NICEをありがとうございます。
ハマコウ
2025年05月12日 21:47
フヂさん niceをありがとうございます。
ハマコウ
2025年05月12日 21:48
なかせさん NICEをありがとうございます。
ハマコウ
2025年05月12日 21:53
Mitchさん ナイスをありがとうございます。
ハマコウ
2025年05月12日 21:54
りっとん2さん ナイスをありがとうございます。
ハマコウ
2025年05月12日 21:56
KENJOさん niceをありがとうございます。
かげでこっそり感謝されているかもしれないと思いたい‥ないことはわかっているのですが。
これからもよろしくお願いいたします。
2025年05月13日 20:00
わたしは、一生懸命に(その子の良いところを見つけてより伸ばす)先生をやると みんな好きになります。子どもを伸ばすとはその子の人間性を豊かにすることだと思います・・・そのための先生とは・・・親をも変容させられる先生だと思う。他の子どもと比べて物を言う先生というよりは、昨日より今日、今日よりは明日へと伸びていることを見つけて、その子やその子の親に接しられる先生。教育のことを考えさせてくれる話題を取り上げてくけてNICEです。
ハマコウ
2025年05月14日 23:42
shunさん NICEをありがとうございます。
よくいわれることですが、子どものこころのコップを上向きにできる大人でありたいと思っています。