「遠淡海国今昔物語 残して置きたい『遠州』の史話」小林佳弘 ふるさと寺子屋「遊行塾」 2015年 /「日本がわかる思想入門」長尾剛 新潮社 OH文庫 2000年 ②【再掲載 2018.1】
今日は5月15日、木曜日です。
今回は、小林佳弘さんの
「遠江刻今昔物語」を紹介します。
印象に残った言葉は…
- 浜松城ほど城主の入れ替わりの激しかった城はない
です。
もう一つ、再掲載になりますが、長尾剛さんの
「日本がわかる思想入門」②を載せます。
わたしの頭の中にすっと入ってはました。
☆「遠淡海国今昔物語 残して置きたい『遠州』の史話」小林佳弘 ふるさと寺子屋「遊行塾」 2015年
◇浜松城の話
1333年 吉良氏が築く
1445~1446年 今川氏地下が城の本普請
大河内氏
1569年 家康入城
1570(元亀元)年 新城
浜松城ほど城主の入れ替わりの激しかった城はない
初代 高力忠房 ~ 26代 井上正直
14家 21人の藩主 ひとり平均10年 大半は江戸暮らし
23代 水野越前守忠邦
ワイロで出世
出世のため領民の苦労など意に介せず
浜松城再建期成同盟 昭和31(1956)年
大林稔議員
専門委員会
水野欣三郎 内田六郎 内田旭 飯尾哲爾
谷口健康 会田忠 城戸久志
昭和32(1957)年5月~昭和33(1958)年4月26日
<以下略>
☆「日本がわかる思想入門」長尾剛 新潮社 OH文庫 2000年 ②【再掲載 2018.1】
[出版社の案内]
ヨーロッパ哲学だけが人類の思想・哲学のすべてではない。
古代から、中世、近世、近代まで、各時代の日本思想にこ
そ、知的発見の楽しみが満ち溢れている。
先賢に学ぶ40 のニッポン・オリジナル。

◇「天皇はエライ」という主張
「古事記」「日本書紀」のキーワードは天皇
= 天皇の根本の意義を決定
当時の天皇家が日本の正統な支配者であることを証明する
ための資料集
「古事記」 - 第33代推古天皇まで
文学・様々な神話の集合体
日本の神々
- 八百万の神についての大胆な解釈
天皇家の祖先は「高天原」の統括者であった神・天照大神
すべての神々は彼女を中心に系統的にまとめられる
津田左右吉
「100%事実だということはあり得ない」
「日本書紀」 - 客観的データのしっかりした歴史資料
第41代持統天皇まで
内外に向けたプロパガンダ
大化の改新の理念を形にする文化事業
二書に語られる古代日本人の心
「天皇は尊い」テーゼ ~ 自然に受け入れられる
◇日本史上思想家第一号
聖徳太子(574~622)
第31代用明天皇 第一子 厩戸皇子
第33代推古天皇
20歳で摂政 その後30年間政治家として活躍
憲法第17条」制定
目的 天皇家を中心とした中央集権国家
そのバックボーンとして仏教を取り入れた
①「天皇」という要素を社会正義の中心に据えて考えた
②「和」を社会の究極的な目的とした
③ 仏教と儒教という二大外来思想を取り入れ,底から独自の思
想を紡ぎ出した
仏教 - 高句麗出身の僧・彗慈から
儒教 - 博士・覚哿から
□憲法十七条
「共同体への同調」という道徳観
日本的社会観に仏教の思想を合わせた
人は皆「凡夫」
仏教を「人類普遍の善の教え」として解釈
= 現実的な道徳として
遺言
「世間は虚仮(こけ)にして,唯だ仏のみ是れ真なり」
= 仏教の教えに日本人にとって新たなそして彼にとっては唯一
真実の「死生観」までも見出した
= 聖徳太子は「思想の革命児」
今回は、小林佳弘さんの
「遠江刻今昔物語」を紹介します。
印象に残った言葉は…
- 浜松城ほど城主の入れ替わりの激しかった城はない
です。
もう一つ、再掲載になりますが、長尾剛さんの
「日本がわかる思想入門」②を載せます。
わたしの頭の中にすっと入ってはました。
☆「遠淡海国今昔物語 残して置きたい『遠州』の史話」小林佳弘 ふるさと寺子屋「遊行塾」 2015年
◇浜松城の話
1333年 吉良氏が築く
1445~1446年 今川氏地下が城の本普請
大河内氏
1569年 家康入城
1570(元亀元)年 新城
浜松城ほど城主の入れ替わりの激しかった城はない
初代 高力忠房 ~ 26代 井上正直
14家 21人の藩主 ひとり平均10年 大半は江戸暮らし
23代 水野越前守忠邦
ワイロで出世
出世のため領民の苦労など意に介せず
浜松城再建期成同盟 昭和31(1956)年
大林稔議員
専門委員会
水野欣三郎 内田六郎 内田旭 飯尾哲爾
谷口健康 会田忠 城戸久志
昭和32(1957)年5月~昭和33(1958)年4月26日
<以下略>
☆「日本がわかる思想入門」長尾剛 新潮社 OH文庫 2000年 ②【再掲載 2018.1】
[出版社の案内]
ヨーロッパ哲学だけが人類の思想・哲学のすべてではない。
古代から、中世、近世、近代まで、各時代の日本思想にこ
そ、知的発見の楽しみが満ち溢れている。
先賢に学ぶ40 のニッポン・オリジナル。

◇「天皇はエライ」という主張
「古事記」「日本書紀」のキーワードは天皇
= 天皇の根本の意義を決定
当時の天皇家が日本の正統な支配者であることを証明する
ための資料集
「古事記」 - 第33代推古天皇まで
文学・様々な神話の集合体
日本の神々
- 八百万の神についての大胆な解釈
天皇家の祖先は「高天原」の統括者であった神・天照大神
すべての神々は彼女を中心に系統的にまとめられる
津田左右吉
「100%事実だということはあり得ない」
「日本書紀」 - 客観的データのしっかりした歴史資料
第41代持統天皇まで
内外に向けたプロパガンダ
大化の改新の理念を形にする文化事業
二書に語られる古代日本人の心
「天皇は尊い」テーゼ ~ 自然に受け入れられる
◇日本史上思想家第一号
聖徳太子(574~622)
第31代用明天皇 第一子 厩戸皇子
第33代推古天皇
20歳で摂政 その後30年間政治家として活躍
憲法第17条」制定
目的 天皇家を中心とした中央集権国家
そのバックボーンとして仏教を取り入れた
①「天皇」という要素を社会正義の中心に据えて考えた
②「和」を社会の究極的な目的とした
③ 仏教と儒教という二大外来思想を取り入れ,底から独自の思
想を紡ぎ出した
仏教 - 高句麗出身の僧・彗慈から
儒教 - 博士・覚哿から
□憲法十七条
「共同体への同調」という道徳観
日本的社会観に仏教の思想を合わせた
人は皆「凡夫」
仏教を「人類普遍の善の教え」として解釈
= 現実的な道徳として
遺言
「世間は虚仮(こけ)にして,唯だ仏のみ是れ真なり」
= 仏教の教えに日本人にとって新たなそして彼にとっては唯一
真実の「死生観」までも見出した
= 聖徳太子は「思想の革命児」
この記事へのコメント
天下を制する為の国盗りの要地でしたからね。
存続させていくことは絶対に必要な事です。
ただ、個人的には女系天皇は反対の立場です。
水野忠邦の移封が決まった際、「浜松の市中は喜びにあふれ、大道で酒樽の鏡を抜いて往来の人々に振舞う町家、俄狂言を招く町、日待をする町、浜垢離をする町があったという」といわれています。領民からどのように思われていたかわかります。
大変わかりやすく解説してくれる本でした。
駿遠豆(駿河遠州伊豆)、同じ静岡県ですが、今でも大きく違うように感じます。
本に書いてあるとおり、「天皇は尊い」は自然に受け入れられているように感じます。