「石井式漢字興国論」石井勲 日本教文社 1992年 ⑤ /「宮本常一著作集51 私の学んだ人」宮本常一 未来社 2012年 ⑥【再掲載 2015.9】
今日は5月19日、月曜日です。
今回は、5月16日に続いて、石井勲さんの
「石井式漢字興国論」紹介 5回目です。
出版社の案内には、
「漢字の学習はもっと楽しくなる! 幼児の持つ驚くべき能力を活用し
た漢字早教育の創始者が、永年の実践研究をもとに、学習者の知能を
高める漢字の効果を説く。石井式漢字教育の集大成!」
「漢字のもつ潜在力と可能性を探る。漢字はIQを高め、知的水準を上
げる。『21世紀の国際文字は漢字』と大胆に予言する最新漢字論。」
とあります。
持論を主張するためか、思い込みが強いのではないかと、わたしは感じ
るところがありました。。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「飛べるようになるのは『習』の結果。『学』だけでは能力は育たな
い」
・「難しくても必要なら何としてでもできるように教えるのが教育」
・「一生で一番大切な時期の教育は家庭で行われている」
もう一つ、再掲載になりますが、
「宮本常一著作集51 私の学んだ人」⑥を載せます。
昭和初期の郷土誌への強い熱意を感じます。
☆「石井式漢字興国論」石井勲 日本教文社 1992年⑤

◇私の考える「教育・学問の意義と理想」(1)
教育の基本は親子の交わり
教えるの字源
ボクニョウ「手に物を持つ形」
父と似ている
「物が交わった形」
→「父と子が交わること」
住居であり仕事場
受けることを学習
学習
習 羽 + 白 (白はかつて百と兼ねていた)
百回も二百回も親鳥の羽ばたきを学んだ
学 まねぶ
→ 飛べるようになるのは「習」の結果
学だけでは能力は育たない
◎ 今の学校教育には「学」があるだけで肝心の「習」がない
- 頭の働きの俊敏な子どもには可能でも普通以下の子
どもには到底できない
~ 昔の学校には「習」があった
学校不信の時代に
不信の要因 「学だけあって習がない」から
論語
「学びて時にこれを習う。また悦ばしからずや」
歴史的かな遣い
= かな文字の使い方の約束
英語のoneはワンでオウンではない
国語審議会
難しいからという理由で変えた
→「難しくても必要なら何としてでもできるように教える」
のが教育
天才を育てた或るアメリカの家庭
学校教育の特長
= 教育専門教師が一斉指導できる点
= 工場の機械による大量生産
高級品は手工業
◎ 個性豊かに真に人間らしい人間はとても学校教育のよくす
るところではない
平成3年5月29日「AERA」
ハーバード大で数学を教える18歳少女
ルース・ローレンス
大学にはいるまで学校に一切行かず父親から教育
父 「学校は子どもの個性を薄めてしまうところだ」
石井「学校は子どもの個性を押しつぶしてしまうところも」
個性が伸ばせない学校教育
教育は「親と子の交わり」に原点がある
三つ子の魂百まで
一生で一番大切な時期の教育は家庭で行われている
よい子悪い子は家庭で決まる
◎ 教育は教師や学校施設の充実よりも、各家庭が学校教育の重
大さを認識し自ら我が子のよりよい成長に直接関与しようとい
う姿勢の方がずっと大切
・どんなに立派な学校でもよい子も知れば悪い子もいる。
・どんなに有能な教師でも悪い子どもを立派に育てることは困
難
三歳までの幼児の環境と教育の善し悪しはその子の後の一生を
左右する
- 立派な親の子はたいてい立派であり、だめな親の子はた
いていだめ
「蛙の子は蛙」
「鳶が鷹を生」は例外中の例外
☆「宮本常一著作集51 私の学んだ人」宮本常一 未来社 2012年 ⑥【再掲載 2015.9】

<柳田先生>
◇柳田先生に学ぶもの
昭和2(1927)年
師範学校の友より
「この人の書いたものにはできるだけ気を付けて読むように」と
理由
農民文化を内側から見る人だから
「旅と伝説」「郷土研究」
大阪田舎周りの小学校に勤務していた(宮本)
「口承文学」雑誌を作る
昭和9(1934)年10月28日
京都下鴨の宿で初対面
澤田四郎作・桜田勝徳・岩倉市郎の名と住所を教えてもらう
→ 和泉郷土研究会 小谷方明君
→ 大阪民俗談話会
→ 近畿民俗学会
昭和10(1935)年8月
日本青年館で教員の講習会
「民間伝承の会」発足
→ 日本民俗学会
「民族」雑誌
~ 歴史学・考古学・人類学・民族学の人々も
調査者の育成が大切
郷土研究
~ 郷土で研究すること
細かな配慮を!
「姑の嫁いじめは声を大にして叫ばれても、嫁の姑いじめは
消されてしまう」
昭和14(1939)年
アチックミューゼアム入り
柳田氏
・ 壁を意識させないようにする努力
・ 行き届いた目の配り方
・ 断定を下す前に一歩退いてその反面を考えてみる態度
◇柳田先生のこと
「書物によって勉強するよりも歩いて、見て、という生活が続くと、
書物を読みこなす力がまるでなくなってしまう。書物を読んだの
ではイメージが湧いてこないし、その中から思考を発展させるこ
とができない」
先生の始められた学問の幅と奥行きはたいへんなものであって先
生は無限に問題を提起していった。
師の学問を発展させ、また問いに対する答えを書くことはできな
い。
新しい東京が日本中を覆い始めている。そしてそこにあった在来
のものを消しつつある。
◇柳田先生にお目にかかるまで
長塚節
「土」に感動
昭和7(1932)年
北池田の小学校に勤める
- 放課後半径一里ほどの間を歩き回った
「口承文学」年4冊発行 毎回50冊 謄写版
「酒盛り塩盛り」を寄稿 柳田
昭和9(1934)年10月28日
京大生・青元一郎君と二人で下鴨の石田旅館
◇日本民族学の設立者・柳田国男
柳田国男は一般に愚昧の民として見られていた民衆の中の文化を
発見した最初の人であった。
それまで知識人たちは、文字を持たない世界には文化はないと考
えていた。
しかし、文字はなくともことばで、行為で、事実で、文化を伝え
ていく方法はいくらでもあったのである。また、その伝え方自体の
中にも文化は存在である。
明治42(1909)年「遠野物語」
一貫して常民文化の解明に努め世人一般にその文化の価値を知
らしめた。
今回は、5月16日に続いて、石井勲さんの
「石井式漢字興国論」紹介 5回目です。
出版社の案内には、
「漢字の学習はもっと楽しくなる! 幼児の持つ驚くべき能力を活用し
た漢字早教育の創始者が、永年の実践研究をもとに、学習者の知能を
高める漢字の効果を説く。石井式漢字教育の集大成!」
「漢字のもつ潜在力と可能性を探る。漢字はIQを高め、知的水準を上
げる。『21世紀の国際文字は漢字』と大胆に予言する最新漢字論。」
とあります。
持論を主張するためか、思い込みが強いのではないかと、わたしは感じ
るところがありました。。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「飛べるようになるのは『習』の結果。『学』だけでは能力は育たな
い」
・「難しくても必要なら何としてでもできるように教えるのが教育」
・「一生で一番大切な時期の教育は家庭で行われている」
もう一つ、再掲載になりますが、
「宮本常一著作集51 私の学んだ人」⑥を載せます。
昭和初期の郷土誌への強い熱意を感じます。
☆「石井式漢字興国論」石井勲 日本教文社 1992年⑤

◇私の考える「教育・学問の意義と理想」(1)
教育の基本は親子の交わり
教えるの字源
ボクニョウ「手に物を持つ形」
父と似ている
「物が交わった形」
→「父と子が交わること」
住居であり仕事場
受けることを学習
学習
習 羽 + 白 (白はかつて百と兼ねていた)
百回も二百回も親鳥の羽ばたきを学んだ
学 まねぶ
→ 飛べるようになるのは「習」の結果
学だけでは能力は育たない
◎ 今の学校教育には「学」があるだけで肝心の「習」がない
- 頭の働きの俊敏な子どもには可能でも普通以下の子
どもには到底できない
~ 昔の学校には「習」があった
学校不信の時代に
不信の要因 「学だけあって習がない」から
論語
「学びて時にこれを習う。また悦ばしからずや」
歴史的かな遣い
= かな文字の使い方の約束
英語のoneはワンでオウンではない
国語審議会
難しいからという理由で変えた
→「難しくても必要なら何としてでもできるように教える」
のが教育
天才を育てた或るアメリカの家庭
学校教育の特長
= 教育専門教師が一斉指導できる点
= 工場の機械による大量生産
高級品は手工業
◎ 個性豊かに真に人間らしい人間はとても学校教育のよくす
るところではない
平成3年5月29日「AERA」
ハーバード大で数学を教える18歳少女
ルース・ローレンス
大学にはいるまで学校に一切行かず父親から教育
父 「学校は子どもの個性を薄めてしまうところだ」
石井「学校は子どもの個性を押しつぶしてしまうところも」
個性が伸ばせない学校教育
教育は「親と子の交わり」に原点がある
三つ子の魂百まで
一生で一番大切な時期の教育は家庭で行われている
よい子悪い子は家庭で決まる
◎ 教育は教師や学校施設の充実よりも、各家庭が学校教育の重
大さを認識し自ら我が子のよりよい成長に直接関与しようとい
う姿勢の方がずっと大切
・どんなに立派な学校でもよい子も知れば悪い子もいる。
・どんなに有能な教師でも悪い子どもを立派に育てることは困
難
三歳までの幼児の環境と教育の善し悪しはその子の後の一生を
左右する
- 立派な親の子はたいてい立派であり、だめな親の子はた
いていだめ
「蛙の子は蛙」
「鳶が鷹を生」は例外中の例外
☆「宮本常一著作集51 私の学んだ人」宮本常一 未来社 2012年 ⑥【再掲載 2015.9】

<柳田先生>
◇柳田先生に学ぶもの
昭和2(1927)年
師範学校の友より
「この人の書いたものにはできるだけ気を付けて読むように」と
理由
農民文化を内側から見る人だから
「旅と伝説」「郷土研究」
大阪田舎周りの小学校に勤務していた(宮本)
「口承文学」雑誌を作る
昭和9(1934)年10月28日
京都下鴨の宿で初対面
澤田四郎作・桜田勝徳・岩倉市郎の名と住所を教えてもらう
→ 和泉郷土研究会 小谷方明君
→ 大阪民俗談話会
→ 近畿民俗学会
昭和10(1935)年8月
日本青年館で教員の講習会
「民間伝承の会」発足
→ 日本民俗学会
「民族」雑誌
~ 歴史学・考古学・人類学・民族学の人々も
調査者の育成が大切
郷土研究
~ 郷土で研究すること
細かな配慮を!
「姑の嫁いじめは声を大にして叫ばれても、嫁の姑いじめは
消されてしまう」
昭和14(1939)年
アチックミューゼアム入り
柳田氏
・ 壁を意識させないようにする努力
・ 行き届いた目の配り方
・ 断定を下す前に一歩退いてその反面を考えてみる態度
◇柳田先生のこと
「書物によって勉強するよりも歩いて、見て、という生活が続くと、
書物を読みこなす力がまるでなくなってしまう。書物を読んだの
ではイメージが湧いてこないし、その中から思考を発展させるこ
とができない」
先生の始められた学問の幅と奥行きはたいへんなものであって先
生は無限に問題を提起していった。
師の学問を発展させ、また問いに対する答えを書くことはできな
い。
新しい東京が日本中を覆い始めている。そしてそこにあった在来
のものを消しつつある。
◇柳田先生にお目にかかるまで
長塚節
「土」に感動
昭和7(1932)年
北池田の小学校に勤める
- 放課後半径一里ほどの間を歩き回った
「口承文学」年4冊発行 毎回50冊 謄写版
「酒盛り塩盛り」を寄稿 柳田
昭和9(1934)年10月28日
京大生・青元一郎君と二人で下鴨の石田旅館
◇日本民族学の設立者・柳田国男
柳田国男は一般に愚昧の民として見られていた民衆の中の文化を
発見した最初の人であった。
それまで知識人たちは、文字を持たない世界には文化はないと考
えていた。
しかし、文字はなくともことばで、行為で、事実で、文化を伝え
ていく方法はいくらでもあったのである。また、その伝え方自体の
中にも文化は存在である。
明治42(1909)年「遠野物語」
一貫して常民文化の解明に努め世人一般にその文化の価値を知
らしめた。
この記事へのコメント
「日本語のローマ字化」で、欧米諸国に意志を伝え易くする時代
では、私の子供の頃とは違い、ほぼ無くなりましたし。それも
漢字興国論の追い風ですね。
漢字は苦手でした。パソコンのおかげで救われました。それも思い出になりました。
学校にまかせっきりだった部分が多々あったように思います。
拝読しましたが、う~ん難しいです (´・ω・`)
ノートや作文、テストなどを見る側からすると、ひらがなばかりだと読みづらくて困りました。間違えてもいいから漢字を使王と呼びかけ、指導も工夫していました。
宮本常一さんの本を読むと、古い時代には古い時代なりのよさがあることに気づくようになりました。
わたしは悪筆なので違う意味でパソコンをありがたく感じています。
振り仮名が入った教科書、いいなと思いました。
家庭や社会から学ぶことがより大切だと思います。
乱暴に言えば、ひらがなの後から漢字を学ぶのではなく、ひらがな、漢字を共に学んでいこうということだと思っています。
低学年児童をよく見ると、家庭での教育の様子がわかるような気持ちになることがありました。