「教育変革への展望1  教育の再定義」佐藤学 秋田喜代美 志水宏吉 小玉重夫 北村友人 岩波書店 2016年 ① / 山本夏彦さんはこんなことを⑭-「完本 文語本」文藝春秋②

今日は1月14日、水曜日です。



今回は、岩波講座、

「教育変革への展望1 教育の再定義」1回目の紹介です。



出版社の案内には、


「本企画全体の見取り図となる第1巻には、5つの重要テーマ
 にそくした編者による論文を収め、関係の専門領域で活躍す
 る識者との対話を掲載する。ゲスト=湯浅誠(社会活動家)
 宮本太郎(政治学),湯澤直美(社会福祉),鈴木寛(元文部
 科学副大臣),酒井啓子(中東研究)」


とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥

・「教育改革の指標は『質と平等の同時追求』」


・「教育改革の波が、子どもや教師や親の声から出発するという
  よりも、政治経済、マスメディアなどの外在的な力によって
発せられ、教育の内在的な規範や実践を突き崩すという深刻
な状況にある」


・「佐藤は論文で『グローバリゼーションと新自由主義が競争と
自己責任を常態化させ、もの言えぬ子どもたちともの言えぬ
教師たちを生み出している』と批判する」





もう一つ再掲載になりますが、山本夏彦さんの
「完本 文語本」②を載せます。


時間がありましたら、

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にもお立ち寄り願います。



☆「教育変革への展望1  教育の再定義」佐藤学 秋田喜代美 志水宏吉 小玉重夫 北村友人 岩波書店 2016年 ①

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◇刊行に当たって

教育改革の指標
  「質と平等の同時追求」



教育改革の波
 子どもや教師や親の声から出発するというよりも、政治経
  済、マスメディアなどの外在的な力によって発せられ、教育
  の内在的な規範や実践を突き崩すという深刻な状況にある


本講座の5つの基本方針
① 知識の先進性

② 知識の実践性

③ 知識の当事者性

④ 教育の議論における科学性と実証性

⑤ グローバル性





◇序論 今教育を再定義する意義 小玉重夫

1 戦後史の構造転換と教育の再定義

第一段階 
    1945-1960年代    
    「信頼」

第二段階 
    1970年代~1990年代
    「批判提起」

第三段階 
    1990年代後半~今日 
    「教育再構築」



2 再定義の諸相
 
小玉論文  

    教育の公共性の復権が、市民教育を通じて可能になる道
   筋と条件を明らかにする


志水論文  

    親の冨と願望が子どもの教育を左右するペアレントクラ
   シーの時代
→ 教育格差の構造を見出す
教育格差を乗り越える条件
~ 平等主義・統合主義・民主主義の理念を公教
        育の中に甦らせる


秋田論文  

    子どもの学びと育ちの今日的局面が社会情動的スキルを
   育む視点や子どもの学びをとらえる複数性の視点から論じ
   られている


佐藤論文  

    グローバリゼーションと新自由主義が競争と自己責任を
   常態化させ、もの言えぬ子どもたちともの言えぬ教師たち
   を生み出していると批判する

- 「学びの共和国」構想


  北村論文  

    グローバル時代の教育を主体的な学びとシラスシップの
   形成という視点からとらえようとしている  

   ◎共通点  
     - 現代が聴きと可能性の両義性をはらんだ時代



3 越境するネットワークのほうへ











☆山本夏彦さんはこんなことを⑭-「完本 文語本」文藝春秋②


[出版社の案内]

祖国とは国語である。日本人は文語文を捨てて何を失ったか。
明治以来流入した欧米の文物は、混乱と活気と迷惑をもたらし
た。中江兆民、二葉亭四迷、樋口一葉、萩原朔太郎、佐藤春夫、
中島敦たち諸家の名文を引き、失った父祖の語彙を枚挙し、現
代口語文の欠点を衝く。

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◇兆民先生

 田中正造 
   足尾銅山鉱毒
明治34年 
     直訴状を幸徳秋水に依頼(中江兆民の高弟)
 文章家・筆取り・操觚者
死んだ人の紹介で死んだ人を知った



 中江兆民 
   明治4年 フランスに遊学
西園寺公望と『東洋自由新聞』
 → 国会議員 
   忽ち辞す 
    = 金がかかりすぎる
    → 腐敗


 明治21年 秋水18歳,兆民42歳で入門                    
  ~ 明治34年死ぬまで愛弟子


幸徳秋水『兆民先生言行録』
漢文の簡潔にして気力ある
「勧学院の雀は蒙求を囀った」


 脱亜入欧 
  日本の古典を棄てて西洋の古典に                         
   → 日本人は魂抜けた腑抜けになる


 明治15年 
  中江兆民 
    ルソーの『民約訳解』を漢文に訳して出版
   漢文は欧州におけるラテン語の如く
  漢文 


 西洋人はくどい
  支那
    「文章は経国の大業,不朽の盛事」
天保の老人が死ぬまで残っていた考え方(大正初年まで)
「一年有半」「続一年有半」


 漢文の極は『史記』『十八史略』
兆民が漢文から学んだことは削ること
  これ以上削ったら分からなくなる寸前で踏みとどまること

          『文藝春秋』1996.1~1996.3




◇聖書

  聖書と賛美歌の翻訳 
   = 文語文のリズム
  聖書に文語訳はまだ残る
  - 分からない字句があってもリズムさえあればよい

  ◎ 明治年間までは文は音読されることを欲し、大正以後黙
   読を予想するようになった




◇二葉亭四迷の思い出

 二葉亭四迷  
   坪内逍遙にすすめられて『浮雲』
 ツルゲーネフ『あひびき』翻訳


 内田魯庵の紹介
   生きている人より死んだ人と知り合いになる
本を読むことは死んだ人と話をすること
                    『諸君』1975.11